榊原郁恵さん「新婚時代はメールもSNSもなかったので、家庭内文通をしていました」|STORY
「別れよう」なんて 言葉が出ても、翌朝には 「おはよう」と言って 普通の会話をする。 それが生活ですよね
◇ 私が楽しくいられるようにと、夫は見守ってくれていた ―よく、渡辺徹さんは、ご自身の体型のことを面白おかしく話していらっしゃいましたが、健康面でご心配されたことは? 大病もあったので、気にはしていました。ただ、味の濃いものが好きといった嗜好は変えられるものではないし、体質もあったのだと思います。本当に忙しかったので、あのスケジュールでは、ダイエットは難しかったですね。 それに、料理番組にも出ていましたし。渡辺徹のイメージは、おいしそうにどんぶり飯をバクバク食べる姿じゃないですか。誰よりも期待に応えたい人なので、やりますよね。テレビを見ている私はハラハラするんですけど。その一方で、体調を崩しても、言えずに隠して仕事に行くことも多かった。そういう点では、彼も私もしんどかった面はありますね。 ―郁恵さんが農業をされたのも、徹さんの食生活を考えてのことですか? いえ。実は全然関係なくて。夫は多趣味だったのですが、私はずっと趣味がなくて、50歳になったときに、何か学びの場に自分を置きたいと思ったんです。そこで、出合ったのが農業塾でした。2年間学んで、その後も仲間と活動を10年ほど続けました。 ―裕太さんの幼稚園時代に気づいた『渡辺郁恵』育てのひとつだったのですか? そうですね。大学に入ったり、本で学んだりするのでなく、体験を通して学ぶのは私に合っていたし、自分の学びを子どもと共有できたのは楽しかったですね。 農業って子育てに似ているんです。過保護にすると苗がひ弱になりますし、将来どうなってほしいかをイメージして苗を誘引したりもする。野菜作りを始めてから、子どもとの接し方も変わりましたね。 それと、私が、楽しい、嬉しいと思っていると、我が家も平和で明るくなるんです。仕事のことで内省的になって鬱々していると、家族にもそれが向いてしまう。自分の中の空気が対流して明るくいることが家族にとってもいいんですね。 ―徹さんは、そんな郁恵さんにどう接していらしたのでしょう。 彼は、いつも、私の様子を見ながら、今は、放っておいたほうがいいな、と察したり、何かしてくれたりしてたんです。 あるとき、彼がロケでオルゴール館に行き、とても高価なオルゴールを買ってきました。私が「仕事先でこんな高いもの買ってきちゃったの?」と言うと「お前がパッヘルベルのカノンが好きだって言うから見つけて買ってきたよ!」と言われて。私は好きと言ったのも忘れていたのです。でも、そんなふうに、私の言葉や仕草を、いつも気に留めていてくれました。 色々サプライズもしてくれました。事前に私に必ずバレるんですけれど。そんな彼に感謝を表現することもなく、申し訳なかったです。