【六田知弘の古仏巡礼】仏法を犯す存在である邪鬼が、仏前を照らす燈籠を支え持つ。「邪」を知るからこそ、「邪」を払う迫力が違う(国宝 / 興福寺)
六田 知弘 / 村松 哲文
興福寺所蔵の国宝・天燈鬼立像。四天王像に踏みつけられることが多い邪鬼が、燈籠(とうろう)を支え持ち、仏前を照らす。力強さの中にどこか哀愁を漂わせた表情が印象的だ。
何かを訴えかけてくる必死の形相に目を奪われる。 奈良・興福寺の国宝館に安置される天燈鬼立像だ。対になる龍燈鬼立像と共に、鎌倉時代には西金堂(さいこんどう)の仏前を照らす役割を担った。邪鬼は仏法を犯す存在として、仏教彫刻では四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)に踏みつけられることが多い。しかし、この天燈鬼はこれまでの悪行を償うかのように燈籠を支え持ち、薄暗い堂内に明かりをともしているのだ。 2本の角と額にある第3の目、これが当時の人々が抱く鬼のイメージだったのだろう。鎌倉時代によく用いられた玉眼(ぎょくがん=水晶をはめ込んだ目)からは緊迫感が、口を大きく開けた表情からは他の邪鬼を追い払おうとする強い意志が感じられる。 口を大きく開いて発する「阿=あ」は梵語(ぼんご)で最初の字音。口を閉じる「吽=うん」は最後の字音。「阿吽」は万物の始まりと終わりを象徴する。天燈鬼は口を開け、龍燈鬼は口を閉じ、2体合わせて阿吽を表現している。仁王像や狛犬(こまいぬ)にはよく見られるが、「阿吽の鬼」の像は非常に珍しい。 赤く塗られた本像は、檜(ひのき)の寄木造。大きく傾けた体はバランスを取るのが難しいので、上半身と下半身を別々につくり、腰帯の下で接合して重心を保っている。また軽くするために内部を刳(く)って空洞にしたことで、干(ひ)割れも発生しにくいという。 こぶしを結んで力んだ右腕や鍛え抜かれた胸筋は迫力満点だ。左足を軸に右足で踏ん張るが、よく見ると左の親指を浮かしているのが分かる。爪先に動きを与えることで、燈籠の重さが伝わってくる。こうした細部にまでこだわった表現が心憎い。ふんどしの上に巻きつけた獣皮も荒々しさを演出している。 対となる龍燈鬼の像内には、運慶の三男・康弁が1215(建保3)年に制作したとすると書き付けがあったと伝わる。この天燈鬼の造像にも、慶派仏師が関わったのは確実であろう。 悔い改めた鬼の口からは、一体どんな叫びが発せられているのだろうか。 <【関連記事】リンク先で、六田知弘撮影の美しき仏像彫刻をご覧いただけます>