「セルフイメージ」の働きとリーダー
私はときどき虫の居どころが悪くて、人に対して感情的に対応してしまうことがあります。そういうときは、後になって「どうしてあんなに感情的になってしまったのだろうか?」と少し落ち込んだり、反省してみたり「あの人があんなひどいこと言うからだ」と相手のせいにしてみたり、いろんな言い訳を心の中で考えます。場合によっては、自分が感情を露わにしてしまった相手に妙に気をつかっています、しばらくぎこちなくなってしまうこともあります。 感情的になったことで私と同じように感じる人もいれば、そうでない人もいるかもしれません。しかし、そもそも私はなぜ自分が感情的になってしまったことで気分が変動したり、あれこれ考えたり、さらには行動にまで影響が出たりするのでしょうか? 理由の一つとして考えられるのは、私は自分のことを「穏やかな人である」あるいは「感情的に安定している人である」と思っているということです。もし自分に対して「感情的な人」「激しい人」というイメージをもっていたなら、そのことについてそんなに思い悩むこともないでしょう。 このように、私たちは自分が自分に抱いているイメージと違うことを言ったりやったりすると、心が落ち着かなくなったり、不安を感じたりするようです。そして面白いことにそういう状況になって初めて、自分が自分についてどんなイメージを大事にしようとしているかが見えてきます。
セルフイメージとは
自分で自分に対して抱いているイメージを、ここでは「セルフイメージ」と命名しましょう。「セルフイメージ」は、自分が自分に対して抱いている自分像です。しかし興味深いのは、自分で思っている自分像でありながら、実は普段はあまり意識できているものではないということです。先に述べたような出来事があって、やっと、うっすらと浮かびあがってくるようなものです。つまりここでいう「セルフイメージ」とは「こうありたい」と描いているような自分の理想のイメージとは異なります。 自身の理想像とは「こうありたい」という明確な意志のある、意識的なものです。それに対して、ここでいう「セルフイメージ」は、後で詳述しますが、自身の生き残り戦略としてほぼ無意識のプロセスで、自分の内側にビルトインされています。 私たちは日常的に、自動的に自分の「セルフイメージ」に基づく言動をとっています。たとえば「やさしい人」という「セルフイメージ」をもつ人は、日常的に、表情も言葉もやさしいトーンで人と接するでしょう。セルフイメージに基づく言動は、すべて無意識レベルで行われます。自動的に実行されているのです。逆を返せば、私たちのすべての言動は、自分が無意識に抱いている自分のセルフイメージに影響されているともいえます。 また、セルフイメージとは、自分で思っている自分像であると同時に、人からもそのように認識してほしいイメージでもあります。ですから、他人から自分のセルフイメージと異なる評価をされたときにも、違和感やもやもやを感じます。