「田舎暮らし」の断片(2)── 発想の転換が「八ヶ岳山麓で趣味三昧」実現
今、政府が唱える「地方創生」と共に脚光を浴びているのが、いわゆる「田舎暮らし」というライフスタイルだ。内閣府が昨年夏に発表した調査結果によれば、農村や漁村に住みたいと考える都会人は31.6%で、前回調査時の9年前から11ポイント増えている。若者の方がその傾向が強く、20代では38.7%がそうした「田舎暮らし」に魅力を感じているという。 (1)移住民が新たに価値を見出した「薪ストーブ」 だが、実際に大勢の若い世代が「田舎暮らし」を実現しているかと言えば、今、40代でそれを経験している僕の実感からすればNOである。いわゆる「団塊の世代」の引退と共に、リタイア後の移住者が急増している実感はあるものの、統計上も地方の高齢化がスピードダウンする気配はない。 現役世代の場合、「夢はあっても金がない」「田舎に行っても生活の手段がない」といったところが現実だと思う。だとすれば、いまさら「夢のような田舎暮らし」を煽っても仕方がない。ここでは実体験を踏まえ、身の回りにある「田舎暮らし」のリアルな断片をいくつか紹介したい。(内村コースケ/フォトジャーナリスト)
少子高齢化時代の「田舎暮らし」
僕が中村賢一朗さんに出会ったのは、この連載の第1回で触れた「薪づくり講習会」の場だった。そのイベントに集まっていたのは、ほとんどは50代、60代の「移住民」で、44歳の僕より若そうなのは中村さんだけだった。見た目は今風のヒョロっと背が高く長髪の青年で、後で聞いた実年齢(42歳)よりもだいぶ若く見えた。その時に貰った名刺の肩書は、「八ヶ岳山麓で趣味三昧」となっていた。 「田舎暮らし」の定義はあいまいだ。奥多摩や房総、湘南あたりの地方都市に一軒家を建てて家庭菜園をやり、平日は都心の職場に通うような生活を「田舎暮らし」と言う人もいるし、それまでの生活を捨てて離島で自給自足の生活を始めるような猛者もいる。かく言う僕も「田舎暮らし」を自称するが、生活の拠点は長野県・蓼科の別荘地、仕事の拠点は東京という中途半端なライフスタイルだ。 動機や志もさまざまだ。同年代に限定すれば、僕が直接的に知る人の中には、脱サラして千葉で養蜂を始めたり、茨城で無農薬野菜を作っている家族がいる。そうした人たちは大なり小なり若いころから理想とする人生哲学や思想を抱き、それに則って具体的なビジョンを持ってある時点でガラリと生き方を変える。いわば、“確信犯”なのだ。そして、彼らはたいてい賢く、いつの時代にもいる普遍的な存在だ。だから、世界一急速に進む少子高齢化という特殊な状況下にある、今のこの時代の日本の「田舎暮らし」を語る例としては、あまり適切だとは僕は思わない。 その点、「八ヶ岳山麓で趣味三昧」というフワッとした肩書を自称する中村さんには、飄々とした第一印象と相まって、おおいに興味をそそられた。チェーンソーを手に薪作りをする姿も、お世辞にも手馴れているようには見えない。今の時代を自然体に生きてきたら、いつの間にかここに辿り着いた――。僕の妄想かもしれないが、そういう風に見えて仕方がなかったのだ。だから、ぜひとも彼の移住先の家を訪ね、詳しく話を聞きたくなった。