「田舎暮らし」の断片(2)── 発想の転換が「八ヶ岳山麓で趣味三昧」実現
「仕事、辞めてもいいよ!」
「これはある意味予想通りの展開ですね」。白い壁に囲まれ、薪ストーブで快適に暖められたモダンなリビングで、中村さんは淡々と言った。昨年秋、4歳下の妻・奈帆子さんと2人、仕事を辞めて愛知県から長野県に移ってきた。中村さんは、横浜生まれのオーストラリア・兵庫県育ち。岐阜県、東京、愛知県で海外営業職のサラリーマンをしていた。奈帆子さんは、埼玉県で生まれ育ち、大手生命保険会社や不動産会社でキャリアを積んだ。ここに来るまでは、単身赴任や転勤の多い、子どものいない共稼ぎという至って都会的な夫婦であった。 「もともと定年を迎えたら田舎でのんびり、ということは考えていました。それが、震災もあって『この先世の中どうなるか分からない』と、計画を前倒ししたといったところです」。というわけで、ともかくまずは仕事を辞めたということなのだが、奈帆子さんは止めるどころかそれを後押ししたという。これには少し驚いた。「当時の彼は仕事もあまり楽しそうではなかったし、彼の職種では地方で転職は難しいと思った。私は不動産業界なので、どこに行っても仕事はあるだろう。じゃあ、私が働けばいい。あなたは辞めていいよ!って」 ならば、どこで新生活を始めるか。まずは「場所」の選定に入った。奈帆子さんが振り返る。「二人とも寒がりだし、もともとは海が移住先候補に上がっていました。葉山?三重?和歌山?」。だが、「震災」が移住を決意した理由の一つになっていたこともあり、天変地異を心配して標高の低い「海」は却下となった。「3年間かけてあちこちに行った末に、一昨年の夏、この辺りに初めて来たんです。それで『すごく良い所じゃない?八ヶ岳!』となって……」。地盤が固く、標高1000メートル前後というデータ面もさることながら、8月という高原の最高の季節だったことも手伝って、直感的に決断した。
市街地の平凡な住宅を選択
そして早速、八ヶ岳山麓の中でも、別荘地として有名な蓼科を抱える長野県茅野市に狙いを定め、家探しを開始。奈帆子さんが不動産業界で培った経験が発揮された。まず「予算ありき」で、土地付きの中古住宅をリフォームすることを決めた。「それで、不動産会社を個別に当たるのではなく、情報が集まる地元の不動産協会に直行しました。図面を見て、100軒くらいの候補から絞り込んでいきました」 最終的には、蓼科の別荘と、茅野の市街地にある2階建ての一戸建てとの一騎打ちになった。高原の別荘は眼前に八ヶ岳が広がる凝ったデザイナーズハウスで、「田舎暮らし」のステージとしては理想的。でも、予算面や「リフォームのしやすさ」に不安が残った。そして、「現実」を優先した結果、市街地の一戸建てに決定。約40年前に分譲された当時の新興住宅地の一角にある、外から見れば古くも新しくもない普通の家だ。その場にパッと立たされれば、一帯の様子は大都市圏の郊外住宅地とあまり代わり映えはしない。 「実際に住んでみて、結果良かったと思いますよ。町に近くて色々と便利だし、大自然は少し行けばいくらでも楽しめますから。それに、標高1500mとかの別荘地の冬は、定住するには寒すぎると思います」 市街地とはいえ、リフォームでは「高断熱・高気密」を最重要ポイントにした。予算の都合でリフォームしたのは家全体の2/3。モダンなリビング・ダイニング(約29畳)と寝室(約15畳)、風呂・トイレに加え、ご主人の趣味のオーディオルーム(約16畳)が新装部分だ。そして、ドア1枚隔てて、ふすまや縁側のある畳敷きの和室が2部屋現れる。奇しくも、元の「地元民」の生活空間と「移住民」の暮らしのコントラストが、一軒の家にくっきりと併存する形となった。