元日本王者の“美女ボクサー”鈴木なな子、名門ジムに移籍 「女子ボクシングをもっとメジャーに…」 立教大卒業後も「プロ一本」に絞った理由
女子ボクシングの元日本王者・鈴木なな子(25)がこの9月、所属ジムを移籍した。鈴木は2年前に立教大学を卒業、美人ボクサーとマスコミに取り上げられることも多い人気選手だ。移籍の理由のひとつには、もっと女子ボクシングが受け入れられてほしい――との思いがあったという。新天地から世界を目指す鈴木が、その思いを語った。 【写真】“ラウンドガールよりかわいい”とのコメントも…鈴木選手の秘蔵ショット14枚 ***
横浜市北東部に位置する鶴見区は、東を東京湾、北を川崎市に接する。京浜工業地帯の中核地のひとつでもあり、区内にはどこか下町の空気も漂う。その中心部、鶴見駅を出て西に10分ほど歩くと、アーケード商店街「レアールつくの」が見える。昔ながらの店が立ち並ぶ中、スーパーが1階にあるビルの2階部分に構えるのが「横浜光ボクシングジム」。2階級制覇の畑山隆則など、世界チャンピオン4名が輩出したこの名門ジムが、鈴木の新しい拠点だ。 もともと鈴木は、ワタナベボクシングジムを経て、三迫ボクシングジムに4年半の間、所属していた。そこで椎野大輝トレーナーと出会い、大学在学中に日本王座を獲得した。 「移籍のきっかけは、椎野さんが三迫を退職されたことです」 と鈴木が語る。 「それもあって私も環境を変えようと思い、移籍先を探していました。知人に光ジムを紹介してもらい、見学に行ったら雰囲気が良かった。何より石井(一太郎)会長の考えに共鳴しました。今の女子ボクシング界は身内受けと言いますか、自分の知り合いだけで完結している部分が大きい。友人だけが応援に来る、みたいな……。でも、それはプロの世界としては違和感があります。外の世界に開いていかないと。そのためにはもっともっとプロモーションが必要です。対メディアももちろん、SNSなどでももっとアピールが必要。そうした考え方を会長も強く持っていらっしゃっていた。そこでこのジムにお世話になることに決めました。即決でした」
ブルース・リーの映画
鈴木は1999年、東京生まれ。4歳で空手を始めた。「ちょっと運動でも」という感覚で行った近所の空手道場。しかし、始めると魅力にはまった。ブルース・リーや、トニー・ジャーのムエタイ映画も大好きになったという鈴木は次第に上達し、高校2年生の時には、関東大会の軽量級で優勝するほどの実績を残す。が、その後、ボクシングに転向した。 「私、協調性があんまりないんですよね。団体競技に向いていないんです」 と鈴木は笑う。 「空手は稽古を集団でやるんですけど、ボクシングはマンツーマンで教えてもらって、自分のダメなところなどをピンポイントで教えてくれるじゃないですか。ひとつひとつこれがダメだ、あれがダメだと言われて、改善していくのが楽しかった。で、ボクシングやってみようかな、と」 プロテストに合格し、高校3年生時にデビュー戦に勝利、2戦目では敗北するもののキャリアを積む。大学は推薦で立教大学に進学した。 「立教にはスポーツ系の学科があるんです。いまは学部になっていますが、スポーツウエルネス学科があり、そこに入りたいと思いました。在学中は生理学や栄養学を広く学び、トレーニングやテーピングの授業まで受講しましたね。“広く浅く”ですが、学生時代に学んだことは、減量などをする上で今でも役立っています」 入学後は4勝1敗の好成績を収め、4年時の2021年にはミニマム級の日本王座に挑む。当時のチャンピオン・瀬川紗代に判定で勝利。5代目の王者となり、現役大学生の王座獲得として大きな話題となった。2022年3月に大学を卒業するが、ブランド大に入学しながらも、就職活動は一切せず、進路は「プロ一本」に絞った。 「大学に入った時から、卒業後はプロ一本で行くと決めていました。周りはみんな就職活動を一生懸命していましたし、無事内定をもらっていましたけど…。私の場合、ボクシングはやって30代半ばまでというイメージです。そこまではそれ一本で行きたいと思って。保険をかけたらダメ、仕事をするとどちらかが疎かになってしまうと思いました。母はやりたいようにやればと、何も言ってきませんでしたが、父は“大丈夫か”“折角大学に行ったのに”と心配して。でも、“仕事とボクシングは同時には出来ないよ”と言うと納得して、今はやりたいようにさせてくれています」