<調査報道の可能性と限界> 第2回 “情報コントロール”の場ともいえる記者クラブ
■記者クラブの「排他性」に批判も
発表の舞台となる記者クラブについては、近年、批判が高まってきました。日本新聞協会加盟社の記者など事実上、大メディアの記者しかクラブには入れないという「排他性」が極めて強いためです。逆に当局との「インナー・サークル」を強固につくり上げてきたことから、「癒着の温床」とも言われてきました。近年、クラブ詰め以外の記者も一部の会見に参加できるようになってきましたが、そうした動きはごくごく一部にとどまっています。 「排他性」の実例はまだあります。クラブ詰め記者だけが1社1人の形などで要人と会する「オフレコ懇談」、担当記者のみに許された検察幹部の夜回り取材(夜間に自宅を訪問する取材)、クラブ員のみに優先配布される裁判の判決要旨……。数え上げれば切りがありません。 要人らと記者の会食は現在も頻繁に行われていますし、かつては金品が記者に配られたこともあったと言われています。森喜朗首相の時代には、苦境に立った首相を救うため、記者会見を乗り切るためのアドバイスを官邸詰め記者が行ったという「記者会見指南書事件」も明るみに出ました。 排他性と相まって、記者クラブは今や「情報コントロール」の場になっていると言って差し支えないかもしれません。 記者クラブには現在も、報道発表の予定がクラブ内に張り出されたら発表当日まで報道を見合わせるといった紳士協定(「白板協定」や「縛り」と呼ばれます)が生きているケースが少なくありません。そういったルールを破ると、最悪、同じ記者クラブのメンバーから「除名」処分を受けてしまいます。
■当局と記者の距離が「近すぎる」
まとめると、日本では記者クラブ制度を軸にして、「発表報道に偏重しており、当局と記者の距離が近すぎる。それは癒着と批判されても仕方ない面がある」ということに落ち着きそうです。 調査報道の主眼は、そうした「発表依存」から離れ、「当局が隠しているような事実を自らの責任で行う」ことにあります。調査報道専門の部署を持つ報道機関は、そこに属する記者たちを「クラブ詰め」にしていません。調査報道が発表報道と対置して語られる背景は、そんな事情もありそうです。
※ ※ ※ 新聞社などメディア各社の取材力が問われる「調査報道」。過去に数々の調査報道を手がけてた経験を持つベテラン記者が7回連載で「その可能性と限界」について解説する。第3回「調査報道の歴史とその威力」は10月1日(水)に配信予定。