「学歴は本当にオワコンか?」日本人エリートの致命的な“弱点” 学歴に胡坐をかいて“学び”を忘れた人があまりに多い現実
データやファクトに強いこだわりを持つので、単純化して伝えることが非常に苦手です。 「このプレゼンで伝えたいたったひとつのキーメッセージは何ですか」。私がコーチング相手の生徒に尋ねて、パッと一言で返すことができる人はあまりいません。 暗記中心の日本の受験勉強を勝ち抜いたエリートたちの多くは、生真面目で勉強好き。ディテールにこだわり、社内資料の会議にはとにかく1から100まですべての情報を詰め込みます。
まさに、「木を見て森を見ない」。その理由は「上司にダメ出しされたときに、『ここに書いてある』と言えるから」だそうです。 大切なことをたったひとつのメッセージに込めれば、伝わるかもしれませんが、100あることを100伝えようとしても、何も伝わらない。そんなことを理解しているエリートは少ないのです。 ■コミュニケーションの巧拙は「恥」の場数で決まる 「正しさ」にこだわり、恥をかけない コミュニケーションの巧拙は、実は「恥」の場数で決まります。
人前に自分をさらし、恥をかくことで、自分の殻を破り、コミュ力を上げていくことができます。しかし、「エリート」は「正しさ」や「正解」にこだわり、間違いを恐れる傾向があります。 「減点主義」の色濃い日本の組織では、下手な挑戦は、大きなリスク。綿々と昭和スタイルの上意下達の伝統を引き継いでいくうちに、真のコミュ力を養う機会を失ってしまうのです。 結果的に、「正論」づくしの「はみ出さないコミュニケーション」を続けるわけですが、それでは、何の面白みもなく、人の心にもまったく刺さりません。
こうした弱点の背景には、知識偏重で受動的な学校教育、上意下達で、自由にものが言いにくい日本の企業体質、日本独特のコミュニケーション文化などがあります。 生徒に向き合うのではなく、黒板と壁打ちするかのように講義をする教授や、言語不明瞭の上司や企業幹部などがまだまだ多数派であり、まともなコミュニケーション教育の場がない現状を踏まえると、「コミュ障エリート」はまだまだ量産され続けそうです。 ■学歴には「ハロー効果」はある