「物価を上げる」と大見得を切った黒田日銀が11年にわたって繰り返した苦しい言い訳。「物価や賃金が上がらない」というノルム(社会通念)の背後にある真の原因とはなにか
議事要旨にみる財政規律を巡る議論
「強気」の姿勢を維持しなければ、異次元緩和の拠って立つ基盤が崩れてしまうことへの恐れは、副作用を軽視するバイアスにもつながったように見える。認知心理学でいう、確証バイアスに似ている。確証バイアスとは、自分の考えが正しいか否かを検証する際に、自分の考えを証明する証拠ばかりを探してしまい、都合の悪い反証情報に注目しない傾向をいう。 異次元緩和でいえば、「効果は副作用を上回る」が日銀の常套句だった。しかし、多くの中央銀行と同様に、日銀も財政ファイナンスへの懸念を有していれば、「効果は副作用を上回る」とあっさり言えるほど楽観的な状況にないことは分かっていたはずだ。 では、日銀内では、金融緩和の副作用についてどのような議論が行われていただろうか。日銀は、金融政策決定会合の約10日後に「金融政策決定会合における主な意見」(以下、主な意見)を公表する。また、毎回の会合の「金融政策決定会合議事要旨」(以下、議事要旨)が、約1ヵ月半後に行われる次の金融政策決定会合の承認を経て公表される。 これらの議論からは、執行部による強気の対外説明とは別に、異次元緩和という特異な政策の効果と副作用をめぐって、政策委員の呻吟する姿が読み取れる(議事要旨などを通読すると、9名の政策委員の間にはかなりの意見のばらつきがあった)。 例えば、「金融緩和の限界、副作用という考えを否定することが必要である」(2016年7月会合の「主な意見」)、「早期に『物価安定の目標』を達成することが、金融緩和の副作用を抑える最善の処方箋である」(2021年3月会合の「主な意見」)といったように、副作用の存在そのものを否定する、あるいは副作用に囚われすぎないようにしようとする委員がいた。 一方、「金融仲介機能や金融市場の機能度への副作用についても、その累積的な性質も踏まえ、改めて点検すべき」(2021年1月会合の「主な意見」)、「時間の経過とともに累積していく金融システムへの副作用もつぶさに評価していく必要がある」(2021年3月会合の「主な意見」)と述べ、副作用に強い警戒感を示す委員もいた。 そうした観点からみれば、金融政策決定会合が副作用をないがしろにしていたわけではなかったことが分かる。 第4章で触れたように、一つの注目材料は、財政政策のスタンスにかかわる議論だった。当時の議事要旨には、「財政と長期金利の関係について、一人の委員は、債券市場の安定確保の観点からは、財政規律がしっかりと維持されることが必要不可欠であると指摘した」(2013年5月会合の「議事要旨」)、「何人かの委員は、金利の安定を確保するためには財政運営に対する信認が維持されることも重要であり、政府が財政健全化に向けた取り組みを着実に進めていくことを期待しているとの認識を示した」(2013年7月会合の「議事要旨」)など、財政健全化に向けた政府の取り組みを期待する旨の発言がいくつもあった。 ところが、異次元緩和の開始から1年弱が過ぎた2014年初めごろからは、財政健全化への取り組みを期待する発言はほとんど聞かれなくなった。2014年当時といえば、消費増税を巡って政治的なサヤ当てが繰り返されていた時期であり、このような局面で、日銀が政治的な発言を行うのが難しかったことは理解できる。しかし、日銀は国債の大量買い入れを行っている当の本人だった。 皮肉にも、国債の買い入れが増え、国債の保有残高が膨大になるにつれて、金融政策決定会合で財政規律を求める声は減った。大量買い入れがもたらす副作用は、時を経るにつれてほとんど議論されなくなった。 審議委員は5年の任期の満了とともに入れ替わっていく。異次元緩和当初の審議委員が任期満了を迎え、安倍内閣によって任命された審議委員が増えたことも影響したのかもしれない。 どのように中央銀行の独立性を維持し、財政ファイナンス禁止の趣旨を取り戻していくかは、難しい課題である。植田日銀は重い宿題を課せられている。 本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか。
山本 謙三
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