「物価を上げる」と大見得を切った黒田日銀が11年にわたって繰り返した苦しい言い訳。「物価や賃金が上がらない」というノルム(社会通念)の背後にある真の原因とはなにか
「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」 元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。 黒田日銀は、長期金利をゼロ%程度に抑え込むために、多額の国債買い入れを行った。その結果、日銀の国債保有残高は約590兆円に達し、日銀当座預金残高も、国債買い入れに見合う形で約561兆円に積み上がった(24年3月末時点)。しかし、史上まれにみる超金融緩和を10年以上も行ったにもかかわらず、長らく物価も賃金も上がらなかった。「国民のインフレ期待(心理)を変える」と大見得きった黒田日銀はなぜ公約を実現できなかったのか。 ※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです。
「適合的期待」「ノルム」の強調に向かう危うさ
日銀は、当初「2年程度」での目標達成をもくろんだが、結局何年も異次元緩和を解除できないまま、物価2%の持続的、安定的な達成を実現できない理由の説明に追われることとなった。その際も日銀は専門用語を多用した。 はじめに強調したのは、2016年9月に行った「総括的な検証(以下、総括検証)」での「適合的な期待形成」である。適合的期待(adaptive expectation)とは、人々の将来の物価予想(期待)が過去の物価の実績をもとに形成されることをいう。 総括検証によれば、予想物価上昇率(人々が予想する物価の上がり方)は、①「中央銀行の目標である2%に向かっていくだろう」という予想の要素(フォワードルッキングな期待形成)と②「過去の物価状況が続くだろう」という予想の要素(適合的な期待形成)の2つで決まる。このうち、日本の場合はほかの国に比べて②の要素が強い、つまり過去の物価上昇率に引きずられやすいとの見解だった。 その見解自体は、誤りではないだろう。ただし、人々の予想が過去の実績に引きずられやすいことは、日銀内では、異次元緩和以前からよく知られたことだった。それを承知で2年程度での達成を目指したはずだった。 言い換えれば、適合的期待を打破するために、日銀は異次元緩和を始めたはずだった。にもかかわらず、「これだけ資金供給と超低金利を続けても、物価が上がらないのは、物価が上がらないという適合的期待が根強いからだ」と説明されても、堂々巡りの循環論法にしか見えなかった。 2022年頃からは、日銀は「適合的な期待形成」に代えるかたちで、「ノルム」という名の期待形成の議論を多用するようになった。「日本には、物価も賃金も上がらないノルム(社会通念)があり、企業も従業員もみながノルムに縛られているので、物価は上がらない」という議論である。 どの国にも社会通念はあり、日本経済にそうした要素があるのは間違いない。だからといって、物価の動向をノルムで説明するのは、これまた堂々巡りの循環論に陥りやすかった。 実際、「適合的な期待形成」も「ノルム」も、結果を知ったうえでの事後的な説明で使われることがほとんどだった。物価が上がらないうちはノルムが根強いからだと言い、物価が上がればノルムが壊れ始めたと言えば、済んでしまう話だった。将来再び物価上昇率が下がれば、「ノルムはやはり根強かった」で済まされてしまうだろう。 これを補完するため、経済モデルで人々の期待(予想)を計測する努力が続けられているが、モデルも実績の後追いの印象が拭えない。ノルムが壊れた、壊れていないを語るだけでは、政策の手がかりは得られない。 大事なのは、ノルムの背後にある社会経済的な要因を深掘りすることであるはずだ。この点は、内田副総裁が2024年2月の挨拶の中で次のように語っている。 「デフレ期のノルムというものは、『賃金や物価が上がらない』という現象に代表させて語られているけれども、その背後にある経済的・社会的・政治的な構造も含んだ複合的なものとして捉える必要があると考えています。すなわち、過当競争と慢性的な需要不足、労働需給の弱さと雇用への不安、さらには『それでも何とかやっていけるようにしていた』各種のセーフティ・ネットなどです。中でも、『賃金を上げなくても人を雇えたこと』が決定的だったのではないかと思っています」 (2024年2月8日 奈良県金融経済懇談会における内田副総裁挨拶) 日銀がノルムの背後にある要因を語った数少ない議論であり、一つの見解にみえる。著者自身は、賃金や物価が上がらない背景には、低生産性企業の温存から生じる値下げ競争の激しさと、労働市場の硬直性に理由があるとみているが、そうした経済的、社会的な要因を分析し、それらは変わるべきものなのか、変えるにしても金融政策で対処できるものなのかを検討するのが、現実の政策に資する議論というものだろう。11年の歳月を費やして、ようやく本質課題がはっきりしてきた印象にあるが、それ以上の議論の進展のないまま今に至っている。
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