【50代が今、読みたい本】大河ドラマも話題「源氏物語」を読み解く3冊
今話題の本を文芸評論家・斎藤美奈子さんがご紹介。大河ドラマ『光る君へ』も話題の『源氏物語』を新しい視点から読み解くエッセー、英訳からの再翻訳、入門書をピックアップ。 40代・50代女性に読んでほしい「おすすめの本」
英語版源氏物語を日本語に再翻訳した姉妹のエッセー
大河ドラマ『光る君へ』も放送半年をすぎ、紫式部は『源氏物語』の執筆に着手、物語はいよいよ佳境を迎えている。 ところで『源氏物語』が世界中で読まれるようになったのは、イギリス、ヴィクトリア朝時代のアーサー・ウェイリー(1889~1966)が英訳した『ザ・テイル・オブ・ゲンジ』(1925~1933年)がキッカケだった。 『源氏物語 A・ウェイリー版』(以下『ウェイリー版』)はこの英訳版をさらに日本語に訳し戻した異色の『源氏物語』。そして『レディ・ムラサキのティーパーティ』は『ウェイリー版』の日本語訳を手がけた俳人の毬矢まりえと詩人の森山恵(ちなみにふたりは姉妹)が翻訳の舞台裏を明かしたエキサイティングなエッセーである。 登場人物をすべてカタカナ表記にした「シャイニング・プリンス・ゲンジ」の物語はこんなふうに書き出される。〈いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます。╱ワードローブのレディ(更衣)、ベッドチェンバーのレディ(女御)など、後宮にはそれはそれは数多くの女性が仕えておりました〉(カッコ内は原文ではルビ扱い)。 ウェイリーは20世紀初頭のイギリスの読者に伝わるよう、作品に登場する文物を読者がイメージしやすい単語(モノ)に置き換えた。エンペラーが住む御所はパレス、左大臣家の大殿はグレートホール、渡殿や中廊はロッジやポルティコといった具合。日本語の『ウェイリー版』はその多くをカタカナで記しており、琵琶はリュート、横笛はフルート、床はベッド、御簾はカーテン、裳はスカートなどの置き換えにも私は興奮した。極東の島国の物語がにわかにヨーロッパの王朝ロマンに思えてくる。 だが、それだけではない。 翻訳の過程で姉妹は『ウェイリー版』にも原作の中にも、世界中の文化が埋め込まれていることに気づくのだ。『源氏物語』は京の都の小さな宮廷の物語と思われているけれど、古代から日本は渤海国(ぼっかいこく)、朝鮮半島、随や唐などともつながりがあり、外交や漂着民の記録も残っている。すなわち〈源氏物語は閉ざされた世界ではなく、開かれた世界であった〉。すると例えば作中では赤い鼻の不美人とされた末摘花も違った様相を帯びる。もしかして彼女は高句麗人(こうくりじん)や靺鞨人(まっかつじん)といった北方系の血が入った姫だったのではないか! 〈わたしたちは「世界文学」としての『源氏物語』を創造したい〉という野望はこうして徐々に形をなしていく。そのプロセスをふたりは「らせん訳」と名づけた。中国の古典から現代文学まで、多彩な世界文学を紐解きつつ語られた、めくるめく『ウェイリー版』の世界。翻訳論としても『源氏物語』論としてもおもしろい。 『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』 毬矢まりえ 森山 恵 講談社 ¥2,640 幼いころから百人一首に親しみ、少女時代は真性の文学少女だったという著者姉妹が、翻訳の舞台裏から『源氏物語』の知られざる魅力まで縦横無尽につづった評論エッセー。作中に多出する「あはれ」という語を英訳するのにウェイリーは「メランコリー」という語を好んだとか、『源氏物語』を往年のフランス映画にするならゲンジは絶対ジェラール・フィリップだとか、膝を打ちたくなる話題も満載。知的好奇心を刺激される。