「内戦で私の国はなくなりました」 壮絶過去の名将…批判されても独自スタイル貫く原点
「サッカーというのは、私は見る人があってのスポーツだと思っている」
北海道コンサドーレ札幌を今シーズン限りで退任するミハイロ・ペトロヴィッチ監督が、貫いてきた自身の哲学について明かした。12月8日に行われたJ1リーグ最終節、ホームでの柏レイソル戦に1-0で勝利。31年間の監督人生で集大成となるかもしれない一戦を白星で締めくくり、最後の試合後会見に臨んだ。 【一覧リスト】駒井、菅ら功労者がまさかの戦力外で退団へ…札幌の去就動向まとめ 試合について振り返った後、MF駒井善成→MF浅野雄也→FW鈴木武蔵と流れるようなパスワークで繋ぎ、最後はMF近藤友喜が相手ゴールキーパーを交わして奪った先制点を「我々がやってきた積み重ね」と表現。哲学の話に続いていく。 攻撃的なスタイルの半面、守備面では数的不利の場面も目立ち、賛否の声があったのも事実。それでも「私自身は監督として常に攻撃的なスタイル、そういう哲学を持った人間であり、どのチームに行っても人々を魅了する攻撃的なサッカーをする。その信条を持って、これまでずっとやってきた」と胸を張る。 「私自身はこれからも、そうしたサッカー観というのは変わらない。うまくいけばそれを称賛してもらえますし、それがうまくいかなければ批判される。サッカーの世界はそういうものだろう。ただ私自身は、自分の信念を曲げることなく、自分のスタイルを貫いてきた」
ミシャにとって「この札幌が私にとっての故郷」
そしてもう一つ、ミシャが大切にしてきたのが毎日のトレーニングを公開し続けたこと。「サッカーというのは、私は見る人があってのスポーツだと思っている。サポーターあってのスポーツだと思っている」とその理由を説明する。 「私自身は自分のトレーニングをクローズすることはない。なぜなら、我々のトレーニング、試合、それを含めて、やはり見てくれる人、応援してくれる人があっての我々のサッカーで、我々の活動だからだ」 ファン、サポーター、もしかしたらコンサドーレにそこまで興味のない地元の人が、いつ来てもサッカーを楽しむことができる。その反面、対戦相手に研究されてしまう、故障している選手がわかってしまうといったリスクもはらむ。 実際、J2降格という結果に終わった今シーズン、練習を見に行ったサポーターから不安の声が広まるということもあった。それでも、そういう声も受け止め、「もちろん良いトレーニングができたときも、そうじゃないときもある。そうじゃないトレーニングを見た人が、もしかしたら今日は良くなかったという批判をすることもあるかもしれない」と、信念を曲げないのがミシャ流だ。 「見ている人たちの、面白い、面白くない、良い、悪い、そういう評価の中で我々は生きていますが、そういういろいろな方々の見方があるなかでも、私自身の攻撃的なサッカーというのは、私の信念というのは、曲げることはない」 誰よりも勝敗にこだわるなかでも、根底にあるのはサッカーを楽しんでもらうということ。この日に行われた最終戦セレモニーでは、多くのサポーターが笑顔でミシャに感謝を伝えた。ミシャ本人もピッチサイド席の観客ひとりひとりと握手し、飴を投げ入れるなど、J2に降格したとは思えない光景が広がった。 そのセレモニーでのミシャのスピーチで、印象に残った部分があった。 「私はユーゴスラビアに生まれましたけれども、内戦で私の国はなくなりました。この札幌が私にとっての故郷だと私自身思っていますし、札幌を離れますけれども、またいつかこの札幌を訪ねてきたいなと思っています」 1957年にユーゴスラビアで生まれたミシャ。同国で選手として活躍し、代表でも1試合に出場した。しかし、オーストリアのSKシュトゥルム・グラーツでプレーしていた1991年、内戦によって母国は崩壊。当たり前の日常がなくなる経験をしたからこそ、サッカーを楽しむという原点があるのかもしれない。
FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大 / Keita Kudo