裏切り行為!? Jリーグ、移籍で物議を醸した選手(2)史上最悪レベル…。10番と主将を継承→1年後にさようなら
7月に入り、明治安田Jリーグの第2登録期間(夏の移籍ウインドウ)が開こうとしている。選手の動きもより活発になってくるはずだが、その全てがサポーターを納得させるものになるとは限らない。実際、過去には世間で物議を醸した移籍も多々あった。今回は、Jリーグ界をざわつかせた主な移籍をピックアップして紹介する(成績は『transfermarkt』参照)。
FW:齋藤学(さいとう・まなぶ) 生年月日:1990年4月4日 移籍先:横浜F・マリノス→川崎フロンターレ 移籍日:2018年1月 ジュニア時代から横浜F・マリノスのアカデミーでプレーしていた齋藤学は、2009年にトップチームに昇格すると、愛媛FCへの期限付き移籍中に抜群の成績を残し、その後マリノスでもレギュラーに定着した。 快速ドリブラーとして、ワールドカップに臨む日本代表に選出されるほどの活躍をみせていた齋藤は、2017年にそれまで中村俊輔がつけていた背番号10を継承。キャプテンにも就任し、まさにマリノスの“新たな顔”となった。。このシーズンの途中に前十字靭帯を損傷したが、怪我が癒えればまたそれまでのパフォーマンスをクラブで見せてくれるとサポーターは信じていたはずだ。 しかし、齋藤はキャプテンと背番号10を託されたわずか1年後の2018年に、マリノスと同じ神奈川県に本拠地を置く川崎フロンターレへと移籍する。移籍先がライバルかつ前年王者、フリー移籍のため移籍金が0円、なによりチームの主将が抜けるという様々な要素が重なり、マリノスサポーターの怒りは頂点に。実際、当時はSNSなどで数々の心無い言葉を浴びせられていたと、本人が明かしている。 川崎F移籍後は思うような成績を残せず、2021年に名古屋グランパスへと移籍。その後韓国やオーストラリア、ベガルタ仙台でもプレーしたが、かつてのような活躍は出来なかった。現在はJ3のアスルクラロ沼津でプレーしている。
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