40年前の渋谷はどこか「牧歌的」だった。当時のアナログ写真から読み解く、渋谷の地位を圧倒的に向上させた“ある戦争”
■覇権争いが生んだ“好循環” このように、1970年代から90年代の渋谷の街では、東急vs.西武の対決構図が常に街を盛り上げることになり、それは渋谷の街全体を巻き込むような形で展開していった。 結果的に消費者側もそれをおもしろがり、渋谷に人が集まるという好循環につながり、渋谷は東京の繁華街として徐々にその地位を向上させていった。 そうして盛り上がってきた渋谷の入口であるスクランブル交差点に面して、ビルの外壁や屋上に広告を満載した古ぼけたビルがあった。現在、巨大スクリーンヴィジョンを持つ「Qフロント」が建っている場所だ。
このビルの名前は「峯岸ビル」。実は、東急グループの一企業が所有していた1960年築のビルだった。 渋谷駅前のハチ公口を出て、混み合うスクランブル交差点を渡り、西武百貨店やパルコなどのある公園通りの方向に行こうとすると、このビル前をどうしても通ることになるのだが、館内のテナントもあまりパッとせず、80年代にはすでに若者の街として賑わっていた渋谷駅前の一等地になぜこんなビルが放置されたままだったのかは謎だった。
■百貨店の“小競り合い”の現場だった その背景には、このすぐ隣にある西武百貨店や、この先の坂上にある西武SEED館やパルコへの入口となる場所を“封印”しておく思惑があったのでは、とも思えてしまう。 ビルの外壁には、若干大きめの「東急ハンズ」と「東急本店」の広告。実は以前に東急百貨店の幹部社員から冗談半分に聞いた話だが「西武さんにちょっといじわるする意味で、あの場所に東急本店と東急ハンズの広告があったんですよ」という話を聞いたこともある。
この峯岸ビルの敷地面積は狭い。しかしスクランブル交差点に面している面が大きいという点に着目し、「広告塔」としての機能に特化して企画された建物が「Qフロント」だった。 Qフロントの竣工は1999年12月。当時はデジタル時代の初期だった。 完成当時からスクランブル交差点に面した巨大スクリーンに次々と映し出される映像のインパクトは大きく、またたく間に東京のトレンドスポットとなったが、当時からここが特に東急色のある存在と印象付けられていたわけでもなかった。