モンゴルの草原の風でばらした羊肉を乾燥。解体から調理まで、見事な手際
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
2015年8月、私はフルンボイル草原を訪れるという長年の夢を果たした。フルンボイル草原は中国でも有数の豊かな草原で、私の地元よりも伝統的な遊牧文化がよりよく残っている。子供の時からの憧れの地だったが、なかなか行けなかった。だが中国版のSNS、WeChatでウジムジさんという女性と知り合い、彼女の家で滞在しながら撮影させてもらえることになり、取材が実現した。 彼女の家族はモンゴル民族の一部族であるバルグ部に属し、わずかながら伝統的な生活を残していた。一番驚いたことは、一度もレンガの家を造っていなかったということ。今でも移動式のゲルだけで生活している。私が訪れた時は夏営地に2軒のゲルを建てていた。ただ、2キロ離れた冬営地には、石積みの羊小屋などが造られていた。
8月のフルンボイル草原は、朝晩は冷え込むが、昼間はやはり暑かった。到着して2日目、羊を用意し、私にご馳走してくれることになった。ウジムジさんの叔父さんは、羊一頭を一人で、1時間もかからずに各部位にばらした。それらをもう一つのゲルに持っていき、木の棒にかけてから、ゲルの下部のフェルトを揚げて、風が通るようにして置いた。 爽やかな草原の風により、羊肉が乾燥され、少しは長持ちする。日本で流行っている熟成肉のようで、冷蔵庫がない時代から伝わってきた。女性陣は羊肉を干している間に、内臓をきれいに洗い、ソーセージなどを作り、すでに茹で始めていた。夜はみんなで美味しい羊肉を食した。 彼らの夏の日常は、結構のんびりしていた。大きな仕事といえば、乳製品作りや前述の川からの水汲みぐらい。毎日、家畜は勝手に川に行って水を飲むので、井戸から水を汲むこともなく、楽だった。(つづく) ※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第9回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。