原発事故で東電強制起訴 「過失」の概念は変わるのか?
「従来の考え方」から踏み込んだ議論も
事故当時の福島第一原発所長である吉田昌郎氏は、原子炉への注水を行うことができなかった2号機からメルトダウンによって大量の放射性物質が外部に漏洩することで、「東日本が壊滅するイメージが頭をよぎった」と政府事故調に対して明確に証言しています。私たちの記憶から薄れつつある福島第一原発の事故ですが、その実態は非常に危機的なものでした。どうしてこの程度の被害でとどまったのか、その理由は未だはっきりとは分からないという状態なのです。 今回の問題は、国や産業界など、より大きな単位での責任を考えるべきとの指摘もあります。確かに、個人の責任という点だけがクローズアップされてしまうことは、本質的な問題解決を遠ざけることになってしまう可能性は否定できません。しかし、今後は公的な機関による新たな調査が行われる予定はなく、刑事裁判の場でないと、そうした機会を確保することが難しいという現実もあります。今回の裁判では、破滅的リスクを生じさせる可能性のある原発において、どの程度の確度であれば事故の予見が可能であり、どのような回避措置を取ることが経営陣に義務づけられていたと言えるのか、従来の考え方から一歩踏み込んだ上で、議論をすることが必要ではないでしょうか。 (ライター・関田真也)
《取材協力》櫻井光政(さくらい・みつまさ) 弁護士。大宮法科大学院大学教授,第二東京弁護士会副会長を歴任し,現在日弁連弁護士推薦委員会委員長。所長を務める桜丘法律事務所からは,毎年若手を地方に派遣している