原発事故で東電強制起訴 「過失」の概念は変わるのか?
福島第一原発事故をめぐり、東京電力の勝俣恒久元会長ら事故当時の経営陣3人が、検察審査会で「起訴相当」と議決されたことを受け、「検察官」役を務める指定弁護士が決まりました。今後は、公判に向けて捜査が行われることになります。 先月指定された石田省三郎、神山啓史、山内久光の3弁護士は、いずれも第二東京弁護士会が選りすぐった刑事裁判のエキスパート。今月15日にはさらに渋村晴子、久保内浩嗣の両弁護士も選任されました。しかし、刑事弁護に詳しい櫻井光政弁護士は、「訴追のプロである検察官が2度も不起訴処分にした事件について、起訴を行って有罪に持ち込むのは至難の業」と指摘します。今回の強制起訴をどのように見ればいいのでしょうか。
結果の「予見」と「回避」が可能だったか
刑事上の過失責任を問うためには、結果の予見が可能であり、かつ結果の回避が可能でなければなりません。そうすると、今回の場合は、大地震の発生、及びこれに伴う大津波の発生、さらにこれによって全電源喪失という事態が発生してメルトダウンを引き起こし、放射性物質の大量放出を招くといったことが予見できたか、また、予見できたとして、これを回避できたかが問題となります。 しかし、過去の判例を見る限りでは、この「予見可能性」は、相当程度具体的なものでなければならないとされています。個人に刑事責任を負わせることは、なるべく謙抑的になされるべきと考えられていることが理由です。この考え方に立てば、原発についても、一般の業務と同じように、確実に予見できる危険でなければ、回避する義務はないということになるでしょう。櫻井弁護士も次のように言います。 「確かに、現在公刊されている書籍等によると、福島第一原発に15メートル程度の津波が押し寄せる可能性があることは当時から明らかになっていたようです。しかし、それは長いスパンでの可能性に過ぎず、今日明日訪れることが確実な危機とまでは言えませんでした。予見可能性があるとしても、その程度が低いと判断される可能性が高いでしょう」 結果について、既に発生したことがあり、具体的かつ確実に予測することができる危険についてのみ過失責任を問えるとする考え方に立てば、東京電力の幹部が、一連の災害と、それによる施設の損壊ならびに住民の被害発生を「具体的に」予見することができたことを証明するのは容易ではありません。 地震についての長期評価の策定に関与した専門家の中には、予測を裏付けるデータや知見に乏しいと考える人もいました。東京地検も、不起訴処分にした理由の一つとして、評価の精度が高いものと認識されていたとは認め難い、ということを挙げています。実際、15メートル以上の津波が到来するという事実については、科学者の間でも考え方が割れていたのです。そうすると、今回のような大事故が発生しても、従来の過失についての考え方を前提とすれば、東京電力の幹部の責任を問えないことは、当然の結論になります。