原発事故で東電強制起訴 「過失」の概念は変わるのか?
「未知の危険」の責任を誰も取らなくなる?
しかし、こうした考え方を前提とするのは、問題も指摘されています。それは、「未知の危険」に対して、誰も責任を取らないという状況を招くということです。確かに、通常の業務についてであれば、どのようなメカニズムに基づいて発生するのかが確実には分かっていない「未知の危険」についてまで責任を負わせることは、過剰な負担となってしまい適切ではないでしょう。 とはいえ、業務の性質によっては、発生する可能性が合理的に予測される場合に、その危険に備えるべきとする考え方もあり得ます。たとえ社会的効用の高い行為であっても、原発のように一歩間違えると巨大な破壊力に転化する可能性のあるものは、こうした考え方を取ることがむしろ常識に適うと言えるでしょう。「未知の危険」であっても、想定されうるリスクに対して、事前に慎重な態度を持つことによって、予防可能なものは少なくないはずです。 こうした主張が認められるためには、裁判所が法的安定性を犠牲にして従来の考え方を変更する、という高いハードルが必要になりますが、櫻井弁護士は「東電幹部に対する刑事責任の追及は全く不可能とまでは思わない」といいます。 「今日明日に『必ず』来ると言えなくとも、今日明日来てもおかしくないというのであれば、予見可能性は十分にあると言ってよいでしょう。また、津波が来ると予想されていても、生じる可能性のある損害が数百万円でとどまる程度のものなら、確かに対策をする必要がないという判断も十分あり得ます。しかし、極めて甚大な被害の発生が予想される事態の下では、結果を回避する義務は一層大きなものになるというべきです。原子力という甚大な被害を及ぼしかねないパワーを扱う者は、常に最新の知見を自らのものとし、かつリスクを最大限想定しておく必要があります。それは決して特殊な注意義務なのではなく、そのような特殊な力を扱う者に要求される通常の義務なのです」(櫻井弁護士) 東京電力は、「確実に予想される災害ではないのに、多額の予算を裂くことはできない」として、15メートル級の大津波が来る可能性を認識しながら、安全対策の前提から完全に外しました。しかし、「完璧な予測でなければ一切参考にしない」という考え方では、リスク管理を徹底する上で妥当でないことは明らかでしょう。放射性物質という人体にとって「未知のリスク」を生み出す、原発の運転という業務ではなおさらです。 今回の事故の大きな原因は、交流配電盤と非常用ディーゼル発電機のほとんどを、タービン建屋の地下に設置しておいたため、津波によって水没してしまい、全交流電源喪失によって原子炉の冷却が困難になってしまったことでした。建物を水密化したり、交流配電盤やディーゼル発電機などの施設を浸水が起きない高い場所に設置するといった形で、非常用交流電源を確保する措置を取っていれば、津波による全交流電源喪失は回避できたとする考え方が強く主張されています。巨額の支出をして防潮堤を築くなど、15メートルの津波の襲来自体を完全に防ぐことまでは求められていなかったと言えるのです。