<わたしたちと音楽 Vol.30>齋藤友香理 音楽を通して身につけた、自分の意思を伝える力
性別による違いはわかったうえで、悔しいとは思わない
――齋藤さんご自身は、元々はピアニストを目指していらっしゃったとのことですが、どのようにして指揮者になるに至ったのでしょうか。 齋藤:ピアニストを目指していた音大在学中から、「プロになるには難しいかもしれないな」とどこかで感じていたのだと思います。そんなときに指揮者に興味を持って、色々な先生と出会い「君は向いているかもしれない」と言っていただくようになりました。そうしているなかで小澤征爾さんと出会い、指揮研修生に指名してもらって今があります。 ――どんなところを「向いている」と言われたのだと思いますか。 齋藤:もともと、リズム感が良かったのかもしれないですね。中学生の時の合唱コンクールで、指揮者をやったんですよ。そのときは「歌いたくない」という動機だったんですけれど(笑)、先生方に「君、すごい指揮だったね」と褒めてもらいました。 ――女性であることは活動に何か影響を与えているのでしょうか? 齋藤:これまであまり、「女性だからこうなった」と考える機会はなかったんです。幼少期にピアニストに憧れたときには、コンチェルトのピアニストが女性で綺麗なドレスを着ていて「私もああいうふうになりたいな」と思ったことはあったでしょうし、マルタ・アルゲリッチというピアニストを見て「この人すごいな」と思っていました。指揮者として活動をしていくうえでは、体の大きさや力強さで男性と張り合っても敵わないけれど、自分には細やかな心遣いでしなやかな表現ができる、と思っています。だから、違いはわかっているけれど、それを悔しがったりはしない、という感じでしょうか。クラシックは奏者も女性も多いですし、実力主義なので「女性だからメンバーから落ちる」ということもないと思います。
実力主義の世界で感じた、自分自身に求められていること
――クラシックの世界は伝統を重んじる世界だから、女性蔑視的なことも残っているのではと思ってしまっていたのですが、基本的には実力で左右される世界なのですね。ジェンダーギャップを感じるような機会はなかったんですね。 齋藤:そうですね。年配の男性のコンサートマスターに挨拶をしに行ったときに、「君が指揮するの?」と驚かれたことはありますが、そのときには若い女性だからというよりは「自分がオドオドした態度だったからかな」と思いました。でも、そういう出会い方だからこそ、実際に舞台で私がレベルが高いことをやればギャップを見せられて印象に残るでしょうし、むしろ「ラッキー」だと思っていたかもしれない。ただ一部、性差別ではないですが、人種差別が残っていることは残念ながらあるかもしれません。オーケストラによってはアジア系が全くいなかったり、いてもなぜか日本人だけだったり……。 ――なるほど。性差別は感じなくても、西洋中心的な価値観が残っていたのですね。クラシックの世界以外では、ドイツと日本の価値観を感じることはありましたか。 齋藤:ドイツではよくデモに遭遇しました。LGBTQの人たちが正当な権利を主張している光景などを目にすると、その切実さが伝わってきます。私がドイツに行く前の日本ではあまりそういうシーンと出会うこともなかったから、そういう問題が隠れていたのだなと思ったりして……。今では変わっているようですけれどね。あとは女性でもはっきりと意見を言う人が多いです。日本ではどこか謙遜したり、遠慮したりする人も多いけれど、それが良しとされる文化自体がドイツにはなかったですね。