女子も奮闘 大阪・生根神社 夜空を焦がす巨大「だいがく」
女子も奮闘 大阪・生根神社 夜空を焦がす巨大「だいがく」 THE PAGE大阪
毎年夏祭りになると、見上げるほど巨大な構造物が出現し、しかも勢いよく回転すると聞いて、さっそく見物に出かけた。ところは大阪市西成区玉出の生根(いくね)神社で、立体的構造物は「玉出だいがく」。だいがくが現存するのは生根神社だけで、しかも観賞できるのは夏祭りの2日間限定。夜の気配を待って、西成へ向かった。
高さ20メートル・総重量約4トン
だいがくが登場したのは24、25日に行われた夏祭り。地下鉄玉出駅で下車して地上に出ると、まちはゆかた姿の見物客でにぎわい、昔懐かしい夜店が祭り景気を盛り立てる。 生根神社の境内にだいがくがそびえ立つ。だいがくはおみこしではない。車で曳き回す地車(だんじり)とも違う。本体はたてものと呼ばれる立体的構造物だ。 参拝者がスマホを向けて撮影しようとするが、なかなか構図が決まらない。だいがくが大きすぎるからだ。高さは20メートル、総重量は約4トン。日ごろは解体して保管し、祭りが近づくと、大工の指導で氏子たちが慎重に組み立てていく。 頑丈な台に太い心棒を固定し、ご神灯などで帆船の帆のように仕立てる。今は展示のみだが、昔は大勢で担いで練り歩いた。それにしても、どうしてこんなに大きいのか、宮司の吉見友伸さんに聞いた。 「古代の雨乞い神事に使用された簡素な依代(よりしろ)が、だいがくの原型でしょう。近世を迎えると、この付近の勝間(こつま)村は綿の生産流通などで栄えていく。村の豊かな経済力を背景にして、だいがくも少しずつ大型化したと考えられます」 勝間綿、勝間がすりは絹のような風合いで人気を博した。勝間ブランドの商品力が、だいがくのバージョンアップを招き、開発製造費や維持管理費を支えたようだ。勝間村は周囲に濠を巡らせた環濠集落だったことから、だいがくが誇り高き村民自治のシンボルでもあったのではないか。 近代に入り、大阪市南部一帯に多くのだいがくが存在していたが、徐々にすたれていく。第2次世界大戦の大阪大空襲で、最後の数基が消失。地方に疎開していた玉出のだいがくだけが、運良く消失を免れ、だいがくの命脈を受け継ぐ使命を帯びることになった。1972年、府指定有形文化財民俗資料第1号の指定を受ける。