劉邦は鼻が高く、輪郭は龍のようだった...人相見が驚愕した「天下をとる奇相」
大ヒット漫画『キングダム』を読み、秦王政、のちの始皇帝に興味を抱いたという方も多いだろう。彼の時代を知るための史料といえば『史記』があるが、その中には、始皇帝の死後に挙兵した劉邦(りゅうほう)について記されている。徳のある人物として語られる劉邦だが、そこにはやはり、劉邦の人を惹きつけてやまない驚くべき逸話の数々が書かれていた。 始皇帝を目にした時の劉邦(江蘇省徐州市沛県の歌風台付属博物館より) ※本稿は、島崎晋著『いっきに読める史記』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです
「あなたの相は天下をとる奇相だ」
劉邦は沛(はい)の豊邑(ほうゆう)の中陽里(ちゅうようり)の出身。彼の出生については、神秘的な話が伝わっている。女が大きな沢の堤で休んでいると、神に出会った夢をみた。このとき天地が真っ暗闇になり、はげしく雷が落ちたので、夫の劉氏が駆けつけてみると、蛟龍(こうりゅ)が女の上にいるのが見えた。女はやがて身ごもり、男の子を産んだ。これが劉邦である。 劉邦は生まれつき鼻が高く、輪郭は龍のようで、美しいひげをはやし、左足には72のほくろがあった。寛仁で人を愛し、施しを喜んで、小さなことにはこだわらなかった。太っ腹で、家事には携わらなかった。壮年になって役人の見習いとなり、泗水(しすい)の亭長[亭のことを司る役人。10里ごとに亭が置かれた]となったが、役所の者たちを見下し、眼中にないかのようにふるまった。 劉邦は酒と色を好み、いつも王媼(おうおう)と武負(ぶふ)の酒家に出かけ、かけで酒を飲み、酔ってはその場に臥せった。王媼と武負は、劉邦の上にいつも龍がいるのを見て、不思議に思った。劉邦が飲みにくると必ず売上が2倍になるものだから、王媼と武負は毎年の年末、借金を帳消しにしてやるのが常だった。 劉邦は労役で咸陽(かんよう)に行ったとき、たまたま始皇帝の行列を目撃した。このとき、思わずため息を漏らしながら、「ああ、大丈夫(男)と生まれたからには、あのようになりたいものだ」と言った。 ときに単父の呂公(りょこう)という人が、仇を避けるため、沛に逃れてきた。沛の県令と懇意だったからである。沛の豪傑や官吏は、県令のところに大事な客があると聞くと、みな進物を持って挨拶にきた。県の主吏をつとめる蕭何(しょうか)が受付係をつとめ、会場を整理するため、「進上が千銭以下の者は堂の下に座っていただきましょう」と案内していた。 そこへ劉邦がやってきた。一銭も持ち合わせていなかったが、彼は、「進上一万銭」と大ぼらを吹いた。名刺が奥へ通されると、呂公は大いに驚き、席を立って戸口で劉邦を迎えた。呂公は人相見を得意としていたが、劉邦の相貌を見ると、すこぶる丁重に奥へ導きいれ、上座に座らせようとした。 蕭何が、「あの男は大ほら吹きで、あまり実行したためしがありません」と言ったが、呂公は気にもかけず、劉邦もまた平然と上座を占め、少しも臆する様子を見せなかった。 酒宴がたけなわのとき、呂公は目くばせをして、劉邦を固く引きとめた。他の客が帰ったあと、呂公は劉邦に言った。 「わたしは若い頃から人相を見るのが好きで、たくさんの人を見てきましたが、あなたの人相に及ぶ人はいませんでした。どうかご自愛ください。わたしには娘がおりますが、どうか掃除のはしためにでもしてくださらぬか」 劉邦が帰ったのち、呂公の妻が怒って夫に食ってかかった。 「あなたは日頃、娘は非凡であるといい、貴人に嫁がせようとしていた。仲の良い沛の県令から求婚されても断ったのに、なんで劉邦なんぞにやろうとされるのですか」 呂公は、「これは女子供のわかることではない」と言って、本当に娘を劉邦にやってしまった。彼女はのちの呂后(りょこう)である。彼女が恵帝(けいてい)と魯元公主(ろげんこうしゅ)を産んだ。 呂夫人が二人の子供といっしょに畑仕事をしていたとき、一人の老父が通りかかり、飲み物を所望した。呂夫人が食事を与えると、老父は呂夫人を見て、「奥さん、あなたは天下をとる貴相をもっておられる」と言った。ついで二人の子を見せると、まず息子を見て、「あなたが貴くなるのは、この子によってです」と言い、娘を見ると、これまた貴相だと言った。 老父が立ち去ってすぐ、劉邦が帰ってきた。いまの話を伝えると、劉邦は追いかけていき、老父に自分の相も見てくれと頼んだ。 老父が、「さきの奥さんや子供さんの貴相はあなたに似ているが、あなたの相は口では言うことができないほど貴い」と言うと、劉邦は、「もしあなたの言われるようだったら、ご恩は決して忘れません」と礼を言った。 「東南の方に天子の気がある」 劉邦は亭長という仕事柄、労役につく労働者を率いて驪山(りざん)へ行くことになった。労働者の死亡率が非常に高かったことから、途中、脱走する者が後を絶たなかった。劉邦は、これでは驪山に着く頃には一人もいなくなってしまうと考え、やけをおこした。豊邑の西沢に着いた夜、わざと深酒をし、労働者たちを解放して、「おまえらはどこでも好きなところへ行くがいい。わしもここから逃げるから」と言い放ったのである。 労働者のなかで、劉邦についていきたいと願う者が十余人いた。夜中の沼沢地を行くので、劉邦はそのなかの一人を先に行かせて、様子を見させた。するとその者が、「前のほうに大蛇がいて、道をふさいでいます。引き返したほうがよくありませんか」と報告した。 劉邦は酔いながら、「壮士が行くのだ、何を恐れるものか」と言って一人で先へ進み、剣を抜いて大蛇を真っ二つに斬った。それから数里行って、劉邦は酔い潰れ、道に伏してしまった。あとの者たちが遅れて大蛇のところにさしかかると、一人の老婆が泣き伏していた。泣いている理由を尋ねたところ、「わが子が殺されたからです」との返事。「なぜ殺されたのか」と尋ねたところ、老婆はこう答えた。 「わたしの子は白帝(はくてい)の子で、蛇の姿に化けていました。いま赤帝(せきてい)の子がそれを斬り殺したのです」 みなは老婆が出鱈目を口走っていると思い、殴りかかろうとしたが、ふと見ると、もう老婆の姿は消えていた。この事件があってから、みなは劉邦を畏敬するようになった。