劉邦は鼻が高く、輪郭は龍のようだった...人相見が驚愕した「天下をとる奇相」
ところで、秦の始皇帝は、「東南の方に天子の気がある」と口にし、それを鎮めるためにたびたび巡遊をおこなっていた。二世皇帝の時代になってからも、秦は東南を警戒していたことから、劉邦は自分が殺されるのではないかと恐れ、芒と碭のあいだにある山沢に身を隠した。 ところが、劉邦がどこに隠れていようと、呂夫人は簡単に見つけ出し、頻繁に訪ねてきた。劉邦が不思議に思って尋ねると、呂夫人はこう答えた。 「あなたのいるところは、いつも上空に雲気があるから、それを頼りに見つけられるのですよ」 この噂を聞いて、劉邦につき従おうとする沛の子弟が少なくなかった。 二世皇帝の元年秋、陳勝・呉広の乱に呼応して蜂起する者が相次いだ。沛の県令は身の危険を感じ、自分も反旗を翻そうと考え、主吏の蕭何と獄吏の曹参(そうさん)に相談をした。すると二人は言った。 「あなたが立っても、沛の子弟は言うことを聞かないでしょう。それより、沛の人間で、外に逃げている者を呼んだほうがよく、そうすれば数百人は集められます。その力をもってすれば、沛の子弟も命令を聞かないわけにはいかないでしょう」 そこで劉邦と親しい家畜解体人の樊噲(はんかい)を呼びにいかせたところ、劉邦はすぐさま数百人の手下を引き連れてやってきた。県令は樊噲を使いにやってすぐ後悔し、秦に背くのをやめにした。城門を閉めて、蕭何と曹参を殺そうとしたので、二人は城壁を越えて逃げ出し、劉邦に合流した。 劉邦が城内に矢文をし、呼応を呼びかけたところ、城内の父老たちは子弟を率いて県令を殺し、城門を開いて劉邦を迎えた。劉邦は何度も辞退したが、みなが何度も勧めるので、ついにはやむなく、沛公(沛の県令)になることを承知した。
島崎晋(歴史作家)