宮川花子「ごめんやけど、もし舞台でしんどくなったら、漫才の途中でもやめるよ」そのとき大助は
日本を代表する夫婦漫才、宮川大助さん・花子さん。2019年に花子さんに血液のがんである「多発性骨髄腫」が発覚、今もなお闘病生活を続けています。 【図解】多発性骨髄腫は何歳以降に起きる?生存率は? 多発性骨髄腫と診断されて以降、心肺停止寸前という危機を経験したり、さらには心臓カテーテル手術や抗がん剤治療などに臨んだりと、さまざまな出来事を経て迎えた2023年。ここでは、漫才界で第一線を走り続けてきた花子さんが、「芸人」から「患者」へと変わった日のお話をお届けします。
先生に言われてるから。「しんどくなったら、何があってもやめなさい」って
2023年5月9日。いよいよ夢にまで見た聖地・なんばグランド花月での漫才復帰の日がやってきたお二人。3年半前の記者会見で、花子さんが「大目標」として掲げたことがいよいよ実現するのです。そのため、万全の体調で臨みたかったものの、依然、週1回のステロイド投与、月1回の抗がん剤治療を受け、1日約 20錠の薬を飲んでいる状態。当日のコンディションが読めないため、スケジュールはずっと仮予定のままで、前日になってようやく「よし、いける」と正式に決定したのでした。 「記念すべき復活の日、じつは珍しく大助くんと気まずくなる出来事がありました。きっかけは、現場に向かう車中で私が発したひとこと。『大助くん、あのな、ごめんやけど、もし舞台でしんどくなったら、漫才の途中でもやめるよ』と言ったんです。それを聞いた大助くんは、これまでと打って変わって厳しい口調で『そんなこと言うたら、あかんやないか。お客さん、楽しみに見に来てはるのに途中でやめるなんて絶対あかん!』」。 そんな大助さんの言葉に驚いた花子さん。大助さんは「そうやな。しんどかったらやめたらええがな」と言ってくれるんじゃないかと思っていたためです。でも、考えてみれば、大助さんは最愛のお母さんが危篤のときも、舞台を優先して死に目に会えなかった悲しみを黙ってこらえた人。舞台を命よりも大切にする芸人魂の持ち主。漫才を途中でやめると言われて、怒らないはずがないと納得したのだそう。 「でも、そんな大助くんに『うん、わかった。どんなことがあっても最後までやる』とは言えませんでした。その代わり、こう続けたんです。『先生に言われてるから。「しんどくなったら、何があってもやめなさい」って。そやから、そうさせてもらう』。大助くんは前を見たまま黙っていました」