国産飛行機の実力は?海軍”最強”戦闘機『紫電改』その歴史的価値~ライト兄弟から121年
飛行機は戦後の日本で難しい立場にあった。GHQの占領下に入った日本では、あらゆる航空機研究が禁止されたからだ。 現在、蒸気機関車や貨物船などの乗り物は、日本の近代化を支えた文化遺産として国の重要文化財に指定されているものもある。しかし、飛行機では国が指定した例はない。 郷田雄志さんは今回の調査について「オリジナルを残すために強度を維持し、技術的な遺産を後世に引き継ぎたい」と話し、”文化財としての価値はどこにあるのか?”という私の質問には「ライト兄弟から始まった飛行機の歴史の1つの段階の物証。当時のままで残っているところに意味がある」と応えた。 そして、ベテラン調査スタッフが口にした言葉にハッとさせられた。 「この飛行機に乗ってみたかった」。とても素直な心情だと感じた。 日本は歴史的には世界有数の航空機生産国だった。今回の調査を担当した新明和工業の前身、川西航空機の原点は1918年(大正7年)創立の日本で初めての航空機会社、日本飛行機製作所までさかのぼる。『日本の航空機工業は軍需産業として国家の強化育成策の基で発展し、最盛期には約100万人の従業員を擁して年産2万5,000機を生産した世界有数の産業だった』(一般社団法人 日本の航空機工業より) 新明和工業は現在、紫電改などを製造した経験と技術を受け継ぎ、世界唯一の性能を持つといわれる救難飛行艇「US-2」を開発、海上自衛隊で運用されている。
新しい展示館で紫電改は何を伝え続けるか
2026年度に完成を目指す新しい展示館は、紫電改が引き揚げられた久良湾を一望するリアス式海岸の美しい景色の中に建設を予定している。 日本で唯一、見ることのできる紫電改は、平和の大切さを伝える役割を受け継ぎながら、「ライト兄弟から始まった飛行機の歴史の1つの段階の物証」として存在し続ける。 今回の調査結果をもとに、具体的な補修の検討や移設用の架台の設計などが行われるが、出来る限り、引き揚げ当時の「オリジナルを残す」(郷田さん)方針だ。何を感じるか。この夏、是非、無言の紫電改と1対1で対話してみて欲しい。 ※紫電改は現在も紫電改展示館(愛媛県愛南町御荘平城5688番地)で見ることができる