なぜアルペンスキー”エース”村岡桃佳は北京パラでの日本勢第1号となる2大会連続金メダルを獲得できたのか
コロナ禍で東京大会が1年延期され、北京冬季パラリンピックとの期間がわずか半年となった状況を懸念して、陸上をやめてはどうかと説得されたのも一度や二度ではなかった。 それでも初志を貫徹し、東京パラリンピックの陸上女子100m(車いすT54)で6位入賞を果たし、雪上に戻ってきた村岡を待っていたのは、一時はネガティブな思いを抱いていた競技スキーを心の底から楽しめる自分だけではなかった。 陸上で強化された筋力や体幹は身体のバランスのよさをさらに際立たせ、強みにしてきたターンにおける精度の高さを引き上げた。オミクロン株の蔓延が考慮されて世界選手権出場が見送られ、1月中旬には練習で転倒して右ひじのじん帯を痛めても、トレーニングランの最終日には出場選手中でトップのタイムを叩き出すまでに仕上げていた。 競技初日、それも午前中から滑降が開始されるスケジュールを考慮して、北京市内の国家体育場、通称「鳥の巣」で行われた4日の開会式への参加を見送った。だからこそ最初の種目でメダルを、それも金色に輝くものを手にしたかった。 「日本選手団の主将を務めさせていただいているなかで、金メダル第1号ということで、日本チームとしてもいいスタートが切れたのではと思っています。少しでも貢献して、日本に勢いをつけられたらいいな、と」 主将としても役割を果たせたと笑顔を浮かべた村岡は、東京パラリンピックと結びつけながら、個人としてのチャレンジの意義をこう語っている。 「二刀流への挑戦としてのゴールが、北京パラリンピックを全力で滑ること。何よりも笑って大会を終えられたら、すごくいいですね」 今日6日には男子座位で銅メダルを獲得し、5大会連続で表彰台に立つ偉業を達成した森井らとともに2種目目のスーパー大回転に挑む。守りに入るのではなく、さらに進化した自分を求めて攻めの滑りを貫く。狙うは5冠。村岡の壮大なチャレンジが幕を開けた。