女優・倍賞美津子との結婚&クーデター疑いで日本プロレス追放直前…アントニオ猪木、坂口征二との「黄金コンビ」生みの苦しみ【週刊プロレス昔話】
「週刊プロレス」40周年を記念し、力道山時代から現在に至る歴史的名勝負を多数収録した決定版書籍『日本プロレス名勝負大全集~昭和・平成・令和の激闘史』(ベースボール・マガジン社)が好評発売中だ。 【蔵出し写真】新日本プロレスが旗揚げした1972年の女優・倍賞美津子さん
1971年秋に日本プロレスで開催された『第2回NWAタッグリーグ戦』にアントニオ猪木と坂口征二が「黄金コンビ」を結成して出場した。28歳の猪木は「若獅子」と呼ばれ、団体エースのジャイアント馬場に挑戦を表明するなど血気盛んな準エース。29歳の坂口は「若鷲」と呼ばれ、元柔道日本一の実力を武器に次代のエース候補と目されていた。2人は1969年に一度だけしか組んだことがなく、ほぼ初タッグに等しかった。 フレッシュで勢いのある2人の本格合体だけに快進撃が期待されたが、当初はコンビネーションもぎこちなく、フォール勝ちも少なく、コンビが不安視された。しかし徐々に息が合い始め、11月1日の決勝戦ではキラー・コワルスキー&バディ・オースチンに2対0のストレート勝ち(1本目、坂口がブレーンバスターでオースチンに勝利。2本目、猪木が卍固めでコワルスキーに勝利)で優勝を果たした。猪木は、この試合を見守っていた女優の倍賞美津子さんと翌日に結婚。 12月にクーデターの疑いで猪木が団体を追放されたため、「黄金コンビ」は空中分解。しかし、1年半後に坂口が日本プロレスを見限って猪木の新団体・新日本プロレスに移籍したため、「黄金コンビ」が復活。新日本で2人はリング上の闘いと経営の両面を支える、正真正銘の「黄金コンビ」となった。
週刊プロレス編集部