「そして人とのつながりは完全になくなった」京アニ放火殺人、青葉被告の軌跡(後編)
青葉真司被告は京都アニメーション放火殺人事件を起こす前に、強盗事件を起こし服役していた。精神障害があったため、社会復帰する際には「特別調整」という制度に乗り、福祉的支援を受けて暮らしていた。公判では被告人質問のほか、関係者の供述調書などさまざまな証拠が出された。これらを手がかりに、被告が受刑後どのように変化していったのか、破滅的な犯罪に至るまでに取れる手だてはなかったのか考えたい。(共同通信=真下周、武田惇志) ▽懲罰続き 2012年6月、青葉被告は茨城県のコンビニで販売店員に包丁を突き付け、2万円余りを強奪する事件を起こす。約10時間後に自首したが、実刑判決(懲役3年6月)を受けて10月、水戸刑務所に入った。 ここで調査を受けた後、初受刑となる青葉被告は犯罪傾向が進んでいない者などが入る喜連川社会復帰促進センター(栃木)に収容された。半官半民の運営で、刑務作業以外の生活では比較的拘束が緩やかなことで知られる。入所時の処遇調査票には「ささいなことを気にして不満をため込みやすい。自棄的な考え方。こらえ性もなく、他責的で周囲のせいにしてしまう」と書かれてあった。
翌13年1月にはさっそく“粗暴な言質”を理由に刑務所内でトラブルを起こしている。半年後には精神科医の診察を受けている。「20歳ぐらいから何もいいことがない」と説明したといい、仕事を転々として家族との接点もなく、投げやりな態度が見受けられた、と医師は記録している。翌月のカルテには、「破滅的なことがある気がして、壊してしまう」と幻聴を訴えたとし、統合失調症の疑いと記された。 青葉被告は暴言などで実に計13回も懲罰を受けている。精神科の診察も頻繁に行われており、「怒りを抑えると恐怖に変わる」「犯罪をしたことがフラッシュバックする」などと訴えている。 個室に隔離すべきとの方針が採られ、自殺を警戒して保護室にも収容されていた。不穏な状態で大声を上げるため、刑務官が制圧したことも記録されている。こうした状況を受け、処遇も変わった。高齢者や精神疾患を持つ受刑者が集められたセクションに移され、刑務官の注意や指導が減ったという。