「そして人とのつながりは完全になくなった」京アニ放火殺人、青葉被告の軌跡(後編)
2015年10月には担当医が統合失調症と(確定)診断した。出所3カ月前のことで、釈放前のアンケートには、被告自身が自分のことを「なりゆきまかせ」と評し、「1年後に作家デビュー、5年後に家を買う、10年後に大御所になる」と目標を書いている。 ▽出口支援 青葉被告は身寄りがなく、出所後に暮らせる場所が定まっていなかった。自分の力で出所後の生活を整えることが難しい障害者や高齢者を、福祉的支援が必要な者として選び出し登録する「特別調整」の仕組みがある。司法と福祉の相乗り制度で、矯正施設から社会への出口部分で動くため、“出口支援”と呼ばれる。 刑務所は出所後の監督に当たる保護観察所と連携し、福祉側からは都道府県に必ず一つは設置されている「地域生活定着支援センター」が参画し、協働で出所後の生活支援に当たる。 青葉被告は刑務所内でも懲罰を繰り返していたため、満期出所が確実だった。いきなり塀の外に放り出される事態を防ぐため、出所の少なくとも半年前から、どこに帰るか、どのように暮らすかを検討し、準備する環境調整が始まった。
被告のケースでは出所後、取りあえずの居場所を確保するための「更生緊急保護」という手段が取られ、帰住地として決まっていた故郷・さいたま市の更生保護施設に入った。規則正しい生活をしながら施設を出た後のすみかや就職先を決め、社会復帰を目指すことが目指された。入寮期間は半年と定められている。 ▽特別調整 青葉被告は37歳だった16年1月に出所、更生保護施設に移った。このタイミングで刑務所は県知事に対し、精神保健福祉法に基づく通報措置をしている。いわゆる「精神科の26条通報」と呼ばれるものだ。 特別調整では、さまざまな医療、福祉的サポートが検討された。まず生活保護を受給する手続きが取られた。さいたま市内のアパートも借りた。精神障害があって入院していた人や出所者の住宅探しは難しい実情があり、青葉被告の場合には住宅支援員が付いて、物件の契約や大家との仲介を担ったようだ。 2週に1回の医師の診察、また精神状態や服薬状況などをチェックする訪問看護を週2回のペースで受けることに決まった。簡単な仕事を行い、工賃をもらう作業所にも通うことになった。