「大量閉店のイトーヨカドー」「自分の家の近くは大丈夫?」など心配の声が続出…あなたの街のイトーヨカドーが閉店した必然
これらの店ができた時期、モータリゼーション(車社会化)は進み始めてはいたが、公共交通網が充実している首都圏においては、地域住民の買物動線のハブは駅であった。 そのため、スーパーは、駅前一等地に狭いながらも場所を確保し、その代わり多層階にして、多様な商品群を品揃えするというスタイルが一般的だった。しかし、40~50年たった今、駅前の人通りは減っていないものの、食品以外のまとめ買い、というかつての総合スーパーのワンストップショッピングニーズは、郊外ロードサイドに増えたさまざまな商業施設に代替されるようになった。
幹線道路沿いに広い駐車場を持ち、カートで買い回りしやすく、物販以外にシネコンや子供の遊び場も備えた大型ショッピングモールに行くほうが、土日を楽しく過ごせる。これは、皆さんも体感していることであろう。 老朽化店舗にちょっと手を入れただけでは、もう勝てない、というのが現状だ。人口減少の見込みが少ない首都圏で閉店した店舗のほうが、引き取り手が決まらないのは、「古い総合スーパータイプの店は誰がやってもうまくいかない」と業界の大多数が思っているからでもある。
■首都圏駅前の一等地を押さえていたヨーカ堂 ただ、そんな環境変化に対して、ヨーカ堂はなぜ今まで手をこまねいていたのか、という疑問が残るだろう。これは、東京の老舗スーパーであるヨーカ堂が、首都圏駅前の一等地を数多く押さえていた、ということに起因している、と考えられる。 地方ではモータリゼーションの浸透は速く、2000年代には駅前の古いタイプの総合スーパーはかなり淘汰されている。バブル崩壊後にきた消費低迷と金融危機によって、多くの総合スーパー企業が経営破綻した時期があったが、衰退した地方駅前に店舗を多く配置していた企業から順に経営が成り立たなくなった。
その際たるものがダイエーだ。先行して全国の駅前、中心市街地を押さえて全国制覇したがために、そのほとんどが不採算店となり、転換が間に合わなかったのである。そして、地方出身でモータリゼーションを前提として、専門店チェーンと共存するモールを展開したイオンがスーパーの覇者となったのだ。 ■モータリゼーションの影響が及びにくかった その時代には、ヨーカ堂はラッキーな存在だった。早くからヨーカ堂が押さえていた、都内、神奈川を中心とした首都圏の一等地には、モータリゼーションの環境変化は長らく影響しなかったからだ。