「サブカルとJ-POP」1990年代編、渋谷系、ダンス、エヴァンゲリオン
90年代のメイン・カルチャーとは対極の場所
雲がちぎれる時 / UA 1996年11月に発売になりました、UAの6枚目のシングル「雲がちぎれる時」。アルバムは1996年10月に出た『11』ですね。90年代のサブカルヒロインが2人いるというふうに思ったのですが、1人がUAですね。この曲は朝本浩文さんで、元ミュート・ビート、その前はAUTO-MODだったとあらためて知りました。DJとしてクラブシーンを支えた人ですね。UAのインパクト、強かったですね。名前がスワヒリ語で花、そして死という2つを意味する名前です。ヒッピーカルチャーとクラブカルチャーが合体したと思いました。UAのデビューのときのプレスリリースのインタビューを僕が書いているんです。そのときに新しいリズム&ブルース、ソウル・ディーバ的な話を書きました。そのときにはDREAMS COME TRUEの吉田美和さんという名前も使わせていただきましたが、メイン・カルチャーは吉田美和さんで、サブカルはこっちだった。そんな感じです。 もう1人サブカルヒロイン、僕の中では安室奈美恵さんなんですよ。彼女はダンスとポップスだけじゃなくてストリート・カルチャーをそこに持ち込んだ。つまり、歴代のアイドルの中でお茶の間を経由しないで出てきた、最初のアイドルが彼女だと思っていて。彼女の中にはストリート・カルチャーがあって、それがアムラーという顰蹙を買うようなファッションに繋がった。サブカルとして始まった音楽がメジャーな形でいろいろブレンドされていくという、そういうJ-POPです。 Grateful Days / Dragon Ash feat. ACO, ZEEBRA 1999年5月に発売になりました、Dragon Ashの5枚目のシングル「Grateful Days」。Dragon Ash Feat. ACO, ZEEBRA。ZEEBRAはさっき話に出たキングギドラのラッパー。Dragon Ashは1997年にメジャー・デビューしたヴォーカルKJさんですね。ターンテーブルの入ったロック・バンド、ミクスチャー・バンドの走り。ロック・バンドとラップが一体になった。これはシングルチャート1位になって、年間チャート13位なんですね。ミクスチャー・バンドで初めての1位をとったのが、この曲と言っていいでしょう。90年代のサブカルがメイン・カルチャーを制覇した。1999年ですからね。90年代の始めから9年経っているわけで、そうやって時代が変わってサブカルがメイン・カルチャーになって行く。でも、そういう扉を開いた人たちは反動を受けるわけで、Dragon Ashはあいつらはヒップホップじゃないという批判にさらされる。これはいつの時代もありますね。この曲の入ったアルバム『Viva La Revolution』はかっこいいアルバムでした。 さて、今日最後の曲は90年代終わりに登場したサブカル・シーンの立役者です。 少年 / ゆず 1998年9月に発売になりました、ゆずの「少年」。デビュー曲が「夏色」で、その後に出た2枚目のシングルですね。初めてシングルチャートの10位内に入ったという曲です。90年代最後のサブカル、「路上」ですよ。サブカルには発祥の地というのがありまして、テクノとか渋谷系はクラブでしょう。ダンスはディスコと輸入盤屋だった。で、ゆずは路上をそういう舞台にしましたね。横浜の伊勢佐木町、松坂屋の前、最盛期は7000人が集まった。路上からスターが生まれる最初の例ですね。その前にもホコ天とか西口のフォーク集会とかありましたけども、でも「音楽」より「現象」でしたからね。そこから新しい人たちが生まれてきて、そこが新しい何かを生み出していくという意味で言うと、路上というのがそういう一番身近な場所になった。そして90年代のメイン・カルチャーとは対極の場所だったのではないかなと思って、この曲で終わります。この後にコブクロとかいきものがかりが出て、2000年代に繋がっていくんですね。今日はなぜこれで終えているかというのは、来週のテーマに関係してくるんです。