「復興は失敗した」集団避難の集落で孤軍奮闘「絶対におれが復興させる」起業家男性が目指す“元気な奥能登”…能登半島地震から半年
「復興に失敗した石川県は、恥だ。真剣にそう思う」 能登半島地震の被災地は、今も一部で断水や国道の通行止めが続いてます。輪島市に住む奥田和也さんは、現状を「失敗」と言い切ります。住民が集団避難し、一時は人の気配がなくなった集落で、奥田さんは1日も早い復興を願ってカフェの営業を続けてきました。 【写真】人の気配がない南志見地区と奥田さんのカフェ 元日に最大震度7を記録した地震から7月1日で半年。「奥能登を元気にしたい」と起業した男性は、奮闘の日々を過ごしています。
「来るのも怖かった」12時間以上かけて店に戻るも…
地震が起きた元日、奥田さんは輪島市から120キロ以上離れた白山市にいました。「もう戻れないかも知れない」と思いながらも、車に支援物資を積み込んで目指した輪島市は、普段なら車で3時間ほどの道のり。しかし、地震によりできた道路の段差や土砂崩れなどに阻まれ、カフェに戻るまでに半日を費やしました。 カフェの周囲には屋根から落ちた瓦が散乱し、外壁も剥がれ落ちていました。見渡すとほとんどの建物が同じような状況で、奥田さんが所有していたゲストハウスや事務所などは5棟全てが傾いていました。 「周りでは、みんなが弱音を吐いているんです。でも一日も心は折れなかったですね。片づけをしながら、一日も早くなんとかしてやると。絶対におれが復興させなあかんと」 母は富山県出身ですが父が輪島市出身とあって「半分は能登の血が流れているから」と、過疎化が進む能登を元気にしようと6年前に起業しました。震災後は、手掛けていたレトルト食品を避難所に配って回りました。 「避難所は小学校と公民館2か所に分かれていた。食べ物が全然入ってきていないのが分かっていたし、とりあえず、俺がおらん時でも倉庫を開けて『ある物をみんな持って行かんか』って。俺もいっぱい積んだ物資を配るのはずっとやっていた」
異例の集団避難…人の気配がなくなった集落
奥田さんが起業した南志見地区は、13町725人が暮らす地域です。能登半島地震では、断水や停電に加え、集落の道路で発生した土砂崩れによって一時孤立したことで、住民らは自力で避難したほか、340人が自衛隊のヘリコプターで100キロ以上離れた金沢市に集団避難しました。 住民が少なくなった南志見地区で、奥田さんは事務所に寝泊まりを続けながら「住民らは戻ってこないかも知れない」と考えていました。 あれから2カ月あまり。もともと過疎化で行き交う人が少なかった南志見地区は、地震でより人の気配が消える一方、工事関係者の姿を時折見かけるようになりました。仮設住宅の整備がすすむ集落に、奥田さんが営業を再開したカフェ「ココハサトマチ」があります。 「絶対に、こんな時って、飲食店があるとホッとするげん」 ここでは、家財整理などで一時帰宅した住民や、復旧作業に当たる工事関係者に向けて午前10時から午後3時までカレーやパスタなどを提供しました。 さらに、店の裏では井戸が新たに掘られ、汲み上げられた地下水を洗い物やトイレなどに使用し、避難先から自宅の様子を見に来た住民らにも開放しました。 雪が舞う3月、集団避難先から自宅に戻ったという女性が店を訪れていました。週に一回は必ず来ていると話します。 住民の女性「再オープン、早い時期にしてくださって、すごくうれしかった。だって、周りがみんな避難して、誰も知っている人がおらん。ここに来たら声をかけてもらえるから、本当にその一言が嬉しい」