「この街は終わりですか」…震災直後の不安に、阪神大震災経験者がくれたアドバイスは 東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(2)
津波で大きな被害に遭った気仙沼市で復興計画づくりが始まった頃、街にはまだがれきが残り、異臭も立ちこめていました。復興はまるで夢物語のように感じました。 支援に来た阪神大震災の経験者に「この街はどうなるんでしょうか。終わりですかね」と不安を漏らすと「街は必ず直るから、今は前向きに過ごすことが大切」と諭されました。半信半疑でしたが、今ではその意味が分かります。 能登半島地震の被災地ではまだ先が見通せず、希望を持つことが難しいとは思いますが、明るい未来は必ず来ます。どうかそれまで辛抱してほしい。私も、被災者が希望を持てるように支援を続けます。 ▽救える命…「避難所を出た後も注意を」 元岩手県宮古市長で医師の熊坂義裕さん(72) 宮古市で昨年3月まで内科医院を開業していました。東日本大震災では、震災関連死と認定された人が3700人を超えました。能登半島地震でも避難生活が長期化しており、今後、関連死が増えるのではないかと懸念しています。
被災者には高齢者が多く、当初は緊張しているので何とか乗り切れても、時間がたつと体調が悪くなる人が出てきます。 まだまだ寒さが続くのも不安材料です。寒さは循環器系の疾患、とくに心臓の病気にはよくありません。避難所では、暖房がなかったり不足したりしているところもあると聞きます。 避難所を出た後も注意が必要です。東日本大震災でも、仮設住宅に移ってから持病が悪化するなどして亡くなる人が数多く出ました。 いずれも救える命です。関連死を防ぐには保健師、栄養士やボランティアらによる避難所や仮設住宅などの見守りを徹底するしかありません。きめ細かな寄り添いが必要です。 長期戦を覚悟しなければなりません。東日本大震災後に被災者が悩みを無料で相談できるホットラインを開設、今も継続していますが、相談は絶えません。地元自治体だけで対応するのは難しい。国のより積極的な関与はもちろん、近隣自治体や民間の力を借りることが大切です。