甲子園球場、ゴルフ練習場、ビニールハウスの地図記号は全て同じ!いろいろな建物に使われる「無壁舎」の定義とは
◆農業用のビニールハウスにも さて、この記号の密度が非常に高い場所のひとつが愛知県の渥美(あつみ)半島である。 この地域は電照菊の栽培が盛んで、農地の多くがビニールハウス(温室)で占められている。 夜に光を当てて菊に「勘違い」をさせて開花期を遅らせる作戦だが、印象的なのは飛行機から眺める夜景だ。 私が最初に目撃した時には、街灯が点在するふつうの田園風景と違ってやけに明るく、無数のオレンジの光が並んでいる様子に地上で何が起きたのかと驚いたが、後で場所を確かめてようやく納得した次第である。 高知県南国(なんこく)市の土佐湾沿いも農業用ハウスがびっしり建ち並んでいて地図上では目立つ。こちらでは多くが大都市圏へ出荷されるピーマンなどが栽培されているらしい。ハウスは野菜ばかりではない。 愛知県の知多湾に面した西尾市一色(いっしき)町の地図も特異な図柄だ。ここはウナギの養殖で知られており、当地の地形図には温水養殖池のあるハウスと屋外の養殖池が多く描かれ、図からその特徴的な景観が想像できる。
◆「雪除部」という記号 最初の雪覆いの話に戻るが、実は「昭和35年(1960)加除」の図式までは無壁舎とは別の記号が用いられていた。明治42年(1909)図式に登場した「雪除部」という記号で、半世紀ほど使われたのである(大正6年図式では「雪除ヲ有スル部」)。 これは線路を覆う切妻屋根を上から見た様子を記号化したらしく、細長い雪覆いの屋根の端2本とまん中の棟1本、合わせて3本の細線が線路を覆って描かれ、終端部(妻部)を三角形でまとめている。 雪国の鉄道に特有の施設で、たとえば奥羽本線では急勾配の難所で知られた福島─米沢間にいくつもこの記号が描かれていた。つい先年の秋も電車が落ち葉でスリップして前進できなくなり、前の駅まで引き返したほどのいわく付きの急勾配区間である。 この峠道は今なお雪覆いが健在であるが、そこからほど近い東北本線の福島・宮城県境に位置する藤田─越河(こすごう)間にあったこの記号は戦後しばらくして消えてしまった。 地形を見ても特に雪崩が起きるとは思えない集落の脇にあり、以前から不思議に思っていたところ、古書店で見つけた昭和11年(1936)発行の鉄道旅行ガイド『旅窓に学ぶ 東日本篇』(ダイヤモンド社)にその答えがあった。 東北本線の車窓から福島盆地を俯瞰する場面の解説には、「誰も皆「右窓」に倚(よ)つて暫しそのパノラマ的風景に見惚れるうち、列車は貝田(かいだ)信号所を越へ、海抜二百米余を頂上として福島・宮城の県界の峠路を切下げた鞍部を乗り越し、やがて下り急勾配線となる。越河(こすごう)散火囲(さんかい?)延長五百八十米を過ぎ」とあった。 その散火囲というのがこれである。要するに急勾配で濛々(もうもう)と煙を吐く蒸気機関車が火の粉をまき散らすと、藁葺き屋根の集落にとって危険きわまりない。それを封じ込めるためのシェルターだから、電化されれば必要なくなるのも当然だ。 新しい地形図が刊行されてこの記号が消えたのは、東北本線が電化されたのとほぼ同じ時期であった。 ※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
今尾恵介