なぜ偏差値の高い学校では「チームスポーツ」が盛んなのか “体育座りができない”“上手に転べない”…運動能力の低下がもたらす子どもたちの危機【石井光太×為末大】
ソフトボールをうまく投げられない
為末 ほかには投げる動作が1番わかりやすいですかね。小さな時からボールを投げている人は、なんとなくスムーズな投げ方ができる。が、成長した後から覚えると、ちょっと不自然な投げ方になってしまう。本でも紹介されていますよね。 石井 ソフトボール投げが子供の運動神経を測るのに1番適していると言われています。全身のバランスをとって投げるという一連の動作、それがいまの子どもたちはできなくなっている。 例えば、運動神経が良いように見えるのに、じゃあボール投げてみようとすると、うまく投げられない。それって、自由に遊んでいないからできないのではないのか、と。 為末 僕はいろんな運動ができた方なんですけど、唯一、「ハンドアイコーディネーション」と言って、目と手を連動させるような、例えば、野球のバッティングが苦手でした。これは独立した能力というか、足の速さとは違うんですね。バッティングセンターに行っても全然ダメ。 ずっとコンプレックスだったので、うちの息子が小さい時に、物を投げてつかませる遊びをさせていました。で、結果的に上手になったんですよ。遊びの中で投げたりしていると、勝手に身についてくる。最近ですと、小学校受験をされる親御さんに相談を受けたことがありまして、体のバランスをとるような試験があるそうですね。それも、外で単純に遊ばせていたら、結構できるはずの内容なんです。 石井 学校も危機感を覚えてるから、そういう試験をやらせるのでしょう。
陸上部と軽音部の意外な関係
為末 SNS全盛時代では人間関係をある種閉じやすいと思うんです。LINEで仲間外れにするというような。でも、チームスポーツとなると、閉じようにも「明日またグラウンドに行ったらあいつがいる」みたいな世界なので、「それならやるしかない」というコミュニケーションになります。 石井 スポーツって体力を伸ばすだけじゃなくて、スポーツをやりながら、勇気や優しさ、共感性やコミュニケーション能力も、いろんなものを学んでいくじゃないですか。それは最終的には勉強にも仕事にも有利な人間関係につながります。それに、スポーツをもっとうまくなりたいと思うとそれを言語化しようとします。スポーツでも音楽でも、何かを好きで継続してやってきた人っていうのは、物事を言語化するのが非常に上手です。実は運動から生まれてくる国語力って僕はあると思っているんです。 為末 陸上競技って軽音部と比較的近いんです。 石井 軽音部ですか? 為末 はい。自分の体を使いながら、ある到達したい地点まで練習していくという点です。練習のプロセスも似ていて、反復練習がほとんどです。実はスポーツから文化的活動まで、体を使いながら感触を得ていくという点では近いんです。言語能力との関係もあるんじゃないかなっていう気がしています。最近、体験学習が大事とか言われますけど、体験する機会までお金で決まるようになっちゃうと、言語的な表現でも将来的に差が出ることがあるかもしれませんね。 石井 いまの子どもはものすごく言葉が荒くなっていますよね。「もういい」「どうでもいい」「うざい」「きもい」というような言葉しか出てこない感じですよね。