“片足のアルピニスト”桑村雅治さん 8歳で左足切断…現在は日本百名山すべての登頂を目指して
“片足のアルピニスト”として日本百名山に挑戦する桑村雅治さんが、このたび、ラジオ番組に出演。これまでの人生や、日本百名山への挑戦について語りました。 【写真】実際の登山の様子 片足で「日本百名山」すべての登頂を目指す“片足のアルピニスト”桑村雅治さん 大阪府出身の桑村さん。8歳のときに「骨肉腫」という骨の悪性腫瘍、つまりがんにかかり、左足を付け根から切断。当時は命に関わる病気で、「助かる確率は10パーセント」といわれたそうです。 幼かったこともあり、病気について詳しく知らされることなく手術が行われ、病院で目覚めて初めて自分の足がなくなっていることに気づいたのだそう。当時の心境について、「『もう走れなくなった。運動会も出られへん』と思った」と振り返りました。 左足を失ったことによる今後の生活への影響を考えるよりも先に「もう走れない」と考えたことからも伺えるように、もともと、走ることや運動が好きだった桑村さん。その後もさまざまなスポーツ競技に取り組み、23歳のときには、インドネシアで開催された「フェスピック」(現在のアジアパラ競技大会の前身)のバドミントン競技において日本人初のメダルを獲得しました。 2001年からは、日本初となる大腿義足の選手としてトライアスロンに挑戦。現在は、片足で日本百名山すべての登頂を目指しています。 桑村さんいわく、「自分の天命みたいなものに気がついたときがあった」そう。30代のころにふと、母親から生存率について聞かされたときのことを思い出し、「10パーセントの確率で生き残ったということは、何かを片足になってすべきことがあるんだな」と感じてからはさまざまなことに挑戦するようになったといいます。 “片足のアルピニスト”として日本百名山に挑戦するようになったのは、友人に誘われたためトレーニングも兼ねて富士山に登ったことがきっかけ。「それまでは興味はなかったけれど、登って上から見た景色というのが結構すごかったですね」と語りました。 先日、新潟と群馬の2県にまたがる巻機山(まきはたやま)に挑戦した桑村さん。「ロフストランドクラッチ」という金属製の杖を使い、腕の力で体重を支えて登っていくそうで、「肩とか首とかにかなり負担がかかるんで、山を登ってて1番しんどいのはやっぱり腕ですね」と解説しました。 巻機山挑戦の際には、泥状の地面で杖がすべり、6時間で登頂予定だったところを2時間オーバーしたそうで、「ここは無理するべきではないなと思って、そのまま8合目から引き返して下りました」と苦労を語ります。 今年9月に発売された著書『片足で挑む山嶺』(幻冬舎)でもこれまでに登った山について触れており、現在、100座のうち71座に登頂。3年後の完登を目指しているそうです。 登山をはじめたときには既に百名山への挑戦も決めていたそうで、「どんな山があるか分からないけど、とりあえず皆さんが目標にしている百名山に登ってみようと(思った)」とコメントしたうえで、当時の心境について詳細に語りました。 「そのときに調べたんですけど、片足で百名山に上った人がいないというか、普通の山を片足で登ってる人もいなかったんですよ。だから、みんなやっぱり諦めてるのかなと思って。で、『登れる』という道を作るのも自分の仕事かなと。登ろうと思えば、どの山でも登れる。それを証明しようと思いました」(桑村さん) 「自身が山に登ることでどのようなメッセージを伝えたいか」と尋ねられると、桑村さんはこのように回答しました。 「何かを感じてもらえるのはすごくうれしいことなんですけど、登っていること自体はもう、自分のために登っているんであって。神様からもらった天命を全うするために、いまは、百名山という目標に向かって登っている途中で、登れるかどうかはわからないですけど、やってみないと。ただ、自分がやって足跡を残していれば、これから出てくるチャレンジャーの人がそれを見て『頑張ろうか』というふうに感じられると思うので」(桑村さん) ※ラジオ関西『Clip木曜日』より
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