【羽生結弦】追憶、北京五輪「集大成」味の素社VP栗原秀文氏と明かす4A挑戦の舞台裏/対談1
冬季五輪男子2連覇のプロフィギュアスケーター羽生結弦(29)が、コンディショニング面において「集大成」のサポートを受けたと感謝する22年北京五輪を回想した。このほど、日本代表選手団を支援する味の素(株)「ビクトリープロジェクト(VP)」の栗原秀文チームリーダー(48)と対談。前人未到だったクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑み、世界初の「4A」認定をつかむまでの舞台裏を振り返った。26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪のプレシーズンも開幕。金メダル2個の羽生に寄り添うことで得られた知見が、日本勢の次代も明るく照らす。(敬称略)【構成=木下淳】 ◇ ◇ ◇ 羽生は3度のオリンピックを、孤高の道を、栄養学や心身を磨く探究とともに歩んできた。14年ソチ大会でアジア男子初の金。18年平昌で世界66年ぶりの2連覇。22年北京で「相愛」の五輪史に4回転半の初認定を刻んだ。伴走してきたのは、栗原ら味の素社VPの面々だった。 栗原 ある方から、栄養面、体づくり、健康に関して少し悩んでいるアスリートがいると。そこで紹介されたのが羽生選手でした。 羽生 そうです。ソチ前の…前か。17歳でしたね。 12年4月末。仙台からカナダ・トロントへ拠点を移した後の、夏だった。当時、全く「食」には興味がない高校2年生だった。 栗原 最初に「僕、食べるの好きじゃないですから」と言われたんですよね。 羽生 もともと胃が強くないので、食べられる時と食べられない時があって。まさにカナダへ行った直後で、現地の食材や料理が“合う、合わない”もあった時でした。その中で、まず食べやすさから入って、次は栄養の取り方、タイミングと考えていって。食べられない時は補食を入れたり、たくさん教えてもらいました。僕らの競技は(ジャンプを跳ぶため)制限が必要で、体が重くなるのが怖いんです。食事に対して、栄養(摂取)よりもダイエットというイメージが強くありました。 味の素は、候補を含む日本代表選手たちを「食とアミノ酸」で03年からサポート。五輪は、翌04年のアテネ大会から今夏のパリ大会で22周年を迎えた。羽生は冬季フィギュア界で「専属」の支援を10年超、受けている。 栗原 ソチまでは基本的に心身の「健康」だけにフォーカスして「バランスよく、毎日3食しっかり食べよう」というステップから踏みましたね。特にフィギュアスケートは演技でジャッジや観客に感情、世界観を表現する競技。絶対に心も健康でなければいけなかったので。 羽生 平昌五輪に向けては「体重」と「活動量」がテーマでした。いつぐらいから始めたんでしたっけ? 栗原 ソチの2年後からですね。体重、体組成を管理すると同時に、日々のトレーニング量と強度を「ロード(負荷)」として数値化し、経時的に状態の変化を見ていきながら、パフォーマンスとすり合わせしていきました。