東海道新幹線開業60周年…海の向こうで見えた「リーダーの先見性」
事前の入札では、フランスとドイツの企業の連合体が優先交渉権を獲得していた。価格の面で、日本側はとても太刀打ちできなかったからで、ヨーロッパの鉄道運行システムの導入で、いったんは内定した。 それを一転させたのは、時の台湾のトップ、李登輝総統だった。彼はそのころ出版した自著で、台湾新幹線について触れている。高速鉄道の導入条件としてこんなことを挙げていた。 『第一が価格、第二が安全性、第三が政治的配慮。政治的配慮とは、日本政府にも姿勢を示してもらいたいということだ』 「日本政府に示してもらいたい政治的配慮」―――。ヨーロッパ方式が採用される前後、ドイツは担当する閣僚が台湾を訪れ、ヨーロッパ方式の採用を、売り込んでいた。もちろん、価格面も大切だが、ドイツ政府の熱心さに比べ、日本は政府が新幹線を売り込むようなことはしなかった。それは、中国に配慮してのことだった。そういう日本のやり方に、李登輝氏は不満を持っていた。 台湾で大地震が起きたのが1999年、その前の年の1998年にはドイツの高速鉄道で脱線事故も起きた。李登輝氏が高速鉄道の導入条件の二番目に挙げた「安全性」を、重視したという側面もあるが、日本政府も水面下で動き、台湾側にその「政治的配慮」を示していた。そして、台湾のトップである李登輝氏が政治的決断をして、日本の新幹線の導入が決まったのだろう。 李登輝氏は日本の統治時代に生まれ、育った。日本語を自由に操る、大の親日家だった。ただ、巨額を投じてのプロジェクト。「日本が好き」というだけで、ドイツ・フランス連合に内定していた台湾新幹線計画を、日本にひっくり返したのではないはず。したたかな李登輝氏には、その先の日本との関係を描いた決断だったのは間違いない。 ■台湾新幹線が築いた「数十年来で最も良い関係」 日本側の受注への大逆転が決まってから、今年で25年。四半世紀だ。今の日本と台湾の関係はどうだろう? 先日、台湾の新しい駐日代表(=駐日大使に相当)が赴任した。その代表は東京に到着し、こんな表現を使った。「台湾と日本の関係は数十年来で最も良い時期にあります。多くの分野で交流が史上最高レベルに達しています」。「数十年来で最も良い関係」――。台湾は以前から「親日」だったが、台湾新幹線の誕生が、その日台の関係をぐっと引き上げたといえないか。