「愛というものは......」ノーベル賞作家マルケスが見出した本質とは?
ラテンアメリカ文学界には、もうひとりの巨星がいた。20世紀文学に大きな影響を与えたアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスだった。私がパリで日本の雑誌社のパリ支局を任されていた頃、彼の妻だった日系人のマリア・コダマ=ボルヘスをインタヴューすることになった。ボルヘスがジュネーヴで亡くなってから、まだ1年も経っていない頃だった。 その数年前、まだ日本にいた時期に、東京でのボルヘスの講演会に行った時、ふたりをホテル・ニューオータニの通路で見かけたことがあった。ボルヘスはすでに眼がみえなくなっていて、彼の前を歩く夫人の肩に手を乗せて、ステッキをついてゆるゆると歩いていた。前を歩くマリアは、白くふわりとした長い丈のドレスを着て、白髪で靴まで白く、とても美しいひとだった。それはまるで神話の中から飛び出してきたように現実離れのしたカップルだった。私は暫く立ち止まって、静かに進んでいく能の道行きのようなその情景に、じっと見惚れていたものだ。 まさかパリの、オスカー・ワイルドが没したホテル「ロテル」でマリア・コダマ=ボルヘスとのインタヴュー後に、私たちはまるで姉妹のように、長時間話し込み、そのうち彼女がブエノスアイレスからパリにやってくると、必ず私の自宅に住むようになろうとは、夢にも思っていなかった。 「ねえ、あなたが東京のホテルで、私たちを初めてみた時の話をしてくれる?」マリアに何度もそうせがまれたものだ。 「メートル(師の意味)は、あの頃白い色だけはうっすらと見えていた。だから私、いつも白いドレスに白い靴だったの。若い頃から私白髪だったのよ。猫も白描だった。だってそうしないと踏んづけてしまうから」 そういうとマリアは仰け反って笑っていた。私は何度も何度もニューオータニの話をしていたが、それをききながら、彼女は当時のしあわせな日々が目の前に蘇ってくるように、いい表情をしていたのを想い出す。 マリア・コダマ=ボルヘスは2023年3月26日、アルゼンチンの保養地ビセンテロペスで息を引き取った。私にとっては40年もの間に渡る親友、というより家族のような存在だったが、訃報を知らされた時はすでに葬いも終わっていた。 私たちはその年の秋には、一緒にモンゴルに旅することになっていたのだ。どうしてかというと、日系人だったので、彼女にも産まれた時には蒙古斑があったそうで、その魔術的な刻印の由来の国に行きたい、と言い出したからだった。「私たちの肌に烙印を遺した国を知らないなんて、絶対駄目よ」というのだ。 マルケスは33歳年下の女性を熱愛し、ボルヘスとマリアの年の差は38歳だったが、彼女は終生師を愛し続けていた。ラテンアメリカ文化圏で生まれ育った人たちは、どこか不思議な物語性のヴェールに包まれて生まれたような、そんな雰囲気の人が多いようだ。