『流麻溝十五号』ゼロ・チョウ監督 台湾の暗い歴史から学べること【Director’s Interview Vol.423】
1950年代・台湾。日本統治時代のあと、中国大陸からやってきた国民党政権は人々を厳しく弾圧した。国民にお互いを監視・密告するよう要求し、政府に反抗して自由を求める者たちを政治犯として逮捕。教育・更生という名目で次々と投獄していったのだ。 映画『流麻溝十五号』は、台湾南東にある離島・緑島(りょくとう)の監獄に収容された3人の女性を中心とする群像劇。考えること自体が罪となる時代を、彼女たちはいかに生きたのか――。『悲情城市』(89)や『牯嶺街少年殺人事件』(91)など台湾映画の名作が描いてきた“白色テロ時代”の脅威に、気鋭の女性監督ゼロ・チョウ(周美玲)が新たな手法で挑んだ。 言論の弾圧・統制は、当時から70年以上を経てなお、現代の世界にも切実な問題として横たわっている。「歴史を知ることで和解を実現し、自由を手に入れ、平和を叶える……それが私たち人間にとって最も大切なこと」。そう語る監督に、あえて暗い歴史を描き直す意味や、台湾での反響、そして映画人としての信念を聞いた。
『流麻溝十五号』あらすじ
1953年、自由を口にするものは政治犯としてすぐに捕まる時代。政治的弾圧が続く中、罪を課せられた者は思想改造および教育・更生のため緑島に収監されていた。連行された者たちは、名前ではなく番号に置き換えられ、囚人として「新生訓導処」に監禁、重労働を課せられる日々を余儀なくされた。純粋な心を持つ、絵を描くことが好きな高校生・余杏惠(ユー・シンホェイ)。ひとりの子どもが生まれて間もなく投獄された正義感の強い、看護師・嚴水霞(イェン・シュェイシア)。妹を拷問から守るため自首して囚人となった陳萍(チェン・ピン)。次々と迫る不条理に対しても思考は止めず台湾語、北京語、日本語などあらゆる言語を駆使しながら一日一日を生き延びようと過ごす人々。時の為政者は何をしてきたのか。考えることは罪なのか。これまで閉ざされていた歴史に、また一つ光が射す。