引退の元幕内旭大星、油そば店経営を目指す「後悔は何もない」第2の人生は「学んだこと生かす」
今月26日に現役引退を発表した大相撲元幕内の旭大星(35=大島)が、将来の油そば店経営を目指してスタートを切る。 28日、埼玉・越谷市内で行われた「大島部屋・旭彩会・大和会合同大忘年会」に出席。日刊スポーツの取材に「油そば屋のオーナーの方に昔からお世話になっていて、そこで勉強して、ゆくゆくは自分の店を出したいと思ってます。右も左も分からない中で声を掛けていただきました。第2の人生しんどいこともいっぱいあると思いますけど、相撲で学んだことを生かせれば」と抱負を語った。 今月25日に引退届を提出し、受理された。「9月場所(=秋場所)を負け越して、もう無理だなと思って。寂しいのはありますけど、後悔は何もない。自分の中ではめちゃくちゃスッキリしています」。 この日は集まった後援者らと久々に再会し、陽気そうに笑みを浮かべ旧交を温めた。涙は一切なかった。晴れ晴れした表情で「勝った時も負けた時も全部楽しくやってたので、思い出の一番は絞りきれないですよ。大島部屋に入門したのが思い出。新十両を目指して頑張ってた頃より、序ノ口まで落ちて復帰してきた時の方が楽しかったんですよ。もういっぺんやってやろうという気持ちでやれてたのが楽しかった。しんどくなるかと思いましたが、辞める時まで全然そう思わなかった」。相撲を心の底まで楽しめたと胸を張った。 今年亡くなった、元大関旭国が師匠を務めた大島部屋に入門。出身の北海道・旭川市にちなみ「旭川の大きな星になれ」などの意味が込められたしこ名を背負って14年名古屋場所で新十両。新入幕を果たした18年夏場所で10勝し、唯一の三賞となる敢闘賞を受賞した。入門前後の様子が、フランス人女性映画監督によって、ドキュメンタリー映画化され、国内外で話題になったこともある。 十両から幕下に転落した22年初場所から、左膝の大けがを理由に5場所連続で休場。同年九州場所で、序ノ口から再起し、今年の名古屋場所では東幕下19枚目まで番付を戻していた。だが続く秋場所を2勝5敗と負け越し、九州場所は全休。来年1月の初場所(東京・両国国技館)では西三段目20枚目に番付を下げ、関取復帰を果たせずに引退を決断した。 兼ねて痛めた膝については「大丈夫です。ただの実力です。自分の中で稽古やトレーニングをサボってたわけでもなく、自分の中でできることはやったつもり。それで無理だったら、しゃーないですね」と話し、「チビ助が3人いるので、かっこいいパパを見せたかった。後は師匠孝行ができなかった。悔いが残るとしたら、それだけですね」と師匠の大島親方(元関脇旭天鵬)がいる方に視線を向けた。来年の5月か6月あたりで断髪式の開催を検討。力士人生最後の晴れ舞台を終えると、第2人生へとひた走る。【平山連】 ◆旭大星拓也(きょくたいせい・たくや)本名・大串拓也。1989年(平元)10月18日、北海道旭川市生まれで、大鵬、北の湖、千代の富士ら幾多の名横綱を輩出した道産子力士。08年初場所で初土俵を踏み、6年掛けて14年名古屋場所で新十両、10年掛けて18年夏場所で新入幕にたどりついた苦労人。幕内デビュー場所では10勝を挙げて敢闘賞を獲得。最高位は西前頭8枚目(18年名古屋場所)。幕内は通算4場所、十両は通算34場所務めた。通算成績は483勝434敗80休。