「永田町では今も“裏切り者”」の石破茂新総裁、ネット民ウケはなぜこんなにもいいのか?
それから10年以上がたち、ネット世論の中心は、2ちゃんねるから、ツイッター(X)などへと移った。各投稿はアルゴリズムによって出し分けられるようになり、ユーザーに協調したコンテンツに出会いやすくなった反面で、異なる意見と出会う機会は少なくなり、分断を生んだ。おそらく今後、「ゲル」や「ローゼン」のような形で、ネットで話題になる政治家は生まれないようにも思える。 とはいっても、石破氏そのものに視線を戻すと、どこか「古い政治」の面影がちらつく。鳥取県知事や自治相などを歴任した父親の死を受けて、田中角栄元首相から政界入りを誘われた。1986年に衆院初当選し、現在までに当選12回を重ねている。小沢一郎氏が18回、麻生太郎氏が14回、二階俊博氏が13回と考えると、かなりのベテランだ。「昭和の自民党」の系譜にあることは間違いない。
世襲かつ地方創生に軸足を置く姿勢からも、どこかハコモノ行政や、バラマキ政策を思い起こす人は多いだろう。今回の総裁選にあたっては、SNS上の「縦型動画」や、noteを導入するなど、デジタル面にも注力し始めたが、どこか本人よりも陣営の意向に感じられてしまう。 ■自民党からの離党が、今でも「裏切り者」とされている ネットに情報があふれる時代では、「ブーメラン」となる過去発言が掘り返されやすいことも、足を引っ張りかねない。石破氏は1993年、自民党を離党して、新生党へ移籍。その後進となる新進党を経て、1997年に復党したが、永田町では30年近くたっても「裏切り者」とされているという。
おそらく本人としては、熟慮した上での判断だったのだろうが、周囲に「ブレ」と感じさせる言動は、デジタルタトゥー(ネットなどに残る痕跡)の発掘が前提となる現代社会において、あまり得策ではない。 新総裁となった石破氏は、首相就任後、早期の衆院解散を表明した。しかし、かつて石破氏が、安易な衆院解散に否定的な立場を示していたことから、野党から言動不一致なのではとの指摘を受けている。これもまた、「原典に当たりやすいSNS時代」だからこそ、すぐに発掘され、拡散されてしまう。