「永田町では今も“裏切り者”」の石破茂新総裁、ネット民ウケはなぜこんなにもいいのか?
石破氏が一般的に知られるようになったのは、「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」(日本テレビ系)での「爆笑問題」太田光さんらとの討論からだっただろうか。「太田総理」がレギュラー放送されていたのは2006年から2010年だが、それ以前からネット上では「ゲル長官」の愛称で知られていた。 ゲル長官とは「いしばしげる」が「石橋ゲル」と変換できることから、防衛庁長官時代に付いたニックネームで、ネット掲示板「2ちゃんねる」(後の5ちゃんねる)などでは、この呼び名で親しまれていた。
石破氏はある種の「ネタキャラ」として位置づけられており、それが親しみを醸し出してきた。2018年にはイベントで、人気マンガ『ドラゴンボール』のキャラクター「魔人ブウ」のコスプレに身を包んだ。今回の「首相内定」によって、その当時の画像が再び脚光を浴びているが、拡散される根底には、十余年におよぶ「イジられポジション」の歴史があるように思える。 ちなみに「ゲル」と前後して、ネットで普及した有名政治家のあだ名が「ローゼン閣下」だ。マンガ好きで知られる麻生太郎氏が『ローゼンメイデン』を読んでいたのではないかとのウワサから「ローゼン麻生」などと呼ばれるようになった。
なぜ親しまれたのかを考えると、そこに今後の「ネットウケ」に向けてのヒントが見えてきそうだ。あくまで個人的な考察でしかないが、その頃の2ちゃんねるは「リアルな友人には言えない、内に秘めた思いを打ち明ける場所」といった立ち位置だった。 筆者は当時、中学生から高校生となる時期だったが、その頃はまだネット掲示板にはアンダーグラウンドなイメージが残り、あまり「2ちゃんねるを見ている」と公言できない雰囲気があった。
■「オタク」のシンパシーを感じたネット民 そうしたネット民が、軍事はもちろん、鉄道やキャンディーズの「オタク」として知られる石破氏に、シンパシーを感じたのではないか。武骨な求道者ゆえに、なかなか周囲には理解されない様子に、ネットユーザーは自らと重ね合わせ、勝手に親しみを覚えた……。 少し考えすぎかもしれないが、石破氏しかり麻生氏しかり、愛称が付いた背景には、どこか「俺たちの代表」としての思いが込められていたように思える。