「一万部見込める名前にする」人気ゲーム脚本家・緒乃ワサビ、商業出版実現までの≪完全戦略≫
シナリオと小説は別競技
――作品の中身についての、最初の具体的な打ち合わせは、去年の秋くらいでしたね。 11月1日でした。そこで、11月10日までには冒頭の一万字くらいあげます、って約束したんですよ。ところが偶然にも10日は、うちのスタッフの引っ越しの日で。手伝いに行ったはずなのに、引っ越しの音を聞きながら、空いてる部屋で原稿を書いていたのをよく覚えています。 ――事務所で、みんなでわいわい打ち合わせしたのが新鮮で楽しかったですね。大抵は、作家と担当がサシでやるので。 喋って頭が回るタイプなんだと思うんですよ。一人で悶々と考えているよりは、誰かと喋ってるうちに、使えるアイデアに辿りつくというか。 開発メンバーを会議に集められたのも、小説の制作を会社で受託した案件として扱っていたからです。「この時期は執筆で開発現場を離れる」ということはみんなに伝えてありました。小説は個人戦になるんだろうと思っていたんですが、ゲーム開発で培ってきた方法を持ち込めたのは良かったです。これは書き手と経営者の二足のわらじをはいているからこそできる作り方なんでしょうね。 ――ゲームの新作を待っている皆さんには、「この本のせいで開発が遅れたわけではなくて、織り込み済みだったんですよ」というのは、声を大にして言っておきたいところであります! はい、ちゃんとチームの制作スケジュールには組み込んでいました。 ――プロトタイプの遣り取りを経て、本格的に書き始めたのは年が明けてくらいだったと思いますが、実際に書き始めてみて、どうでしたか? シナリオライターと小説家って、似た職業と思われているかもしれないですし、自分もどこかそう思っていたところがあるんですが、完全に別競技でした。卓球とテニスくらい違いますね。ルールも違うし、得点の入り方も一点の重みも違う。フィールドの広さに合わせた身体の動かし方が別モノなんだ、と感じました。 ――具体的に、一番違うのって、どこでしたか? 尺、物語の長さの制約、がまずありましたね。ビジュアルノベルって、単価が高いですから、「買った以上は簡単には投げ出さないだろう」「長ければ長いほど喜んでくれるだろう」という信頼感みたいなものが、ユーザーさんに対してあるんですよ。導入が少し退屈でも、長大な物語のために必要な助走だと受け止めてもらえる。でも、小説ではそんなに悠長なことはしていられない。物語に引き込むまで最短ルートで駆け抜けるようにと意識しました。 今作の中盤では、ヒロインと主人公をしっかり好きになってもらうために、結構分量を使いましたが、でもゲームに比べればずっと短いです。ゲームだと、キャラクターに親近感を持ってもらうための、起伏の少ない日常シーンがもっとあると思います。 自分は、ビジュアルノベルの側では、悪く言えば、お話をせかせか進めるタイプの書き手だったので、それが小説には向いてるんじゃないかと思ってたんですが、想像以上に、筋肉質にお話を作らなきゃいけないんだな、と感じました。 ――打ち合わせのとき、よく「これだと、読者のヘイトを買うんじゃないか」と気にされていましたが、その「読者のヘイト」という表現が印象的でした。 今回の三澄(みすみ)のように、気の強いキャラクター、不機嫌なキャラクターを書くときは、どこまでが面白い領域で、どこからが不快な領域なのか、その境界線は意識しています。そこを超えてしまうことを、会議の場ではヘイトを買う、と表現していますね。 エンターテインメントの基本姿勢は「おもてなし」ですから、自分の作品を読んでくれる層の怒りの沸点がどの辺なのか、完全に把握はできなくとも無視はしないようにしています。 ――具体的に苦労したことを挙げるとしたら、どういったことですか。 どの作品にも共通しますが、キャラクターが動き始めるまでは、やっぱり大変です。世界観を立ち上げるのには苦労しますね。だから、最初の一万字をこの日に送るっていう約束で自分を追い詰める必要がある(笑)。 あとは、描写のバランス調整ですね。ゲームには声優さんの声があって、音楽もあって、ビジュアルもある。小説はそれらが全部ない。そういう描写をどこまで活字で表現して、どこからを読み手の想像に委ねるのか。そのバランス調整には悩みました。 書きながら常に浮かんで来る、「これは本当に面白いのか、正しい道を進んでいるのか」という迷いは、考えるだけ無駄だと分かっていても、拭いきれないものでした。だから、原稿を送る度に「ちゃんと面白いですよ」と返してくれる編集者という存在には助けられましたね。ゲーム開発のときは、うちはみんな制作側になっちゃうので。