いしわたり淳治さん「言葉にできない想いは本当にあるのか2」インタビュー 言葉をうまく操ることができたら悩みも減るはず
自分ができないことを何かのせいにしたくない
――そのように考えるようになったのはいつ頃からですか? いしわたり:バンドを解散してからかもしれません。当時、自分がバンドでやり残したことはなんだろうと考えた時、紅白に出てないし、Mステにも出ていない。「カウントダウンTVをご覧のみなさん」と言ったこともない。メジャーの本流のところに一歩も足を踏み込めなかったなと思ったんです。その時、自分がやってきたのは、エンタメではなかったのかもしれないと気づいて。 ――でも、いしわたりさんが作詞とギターを担当したSUPERCARはすごく人気がありましたよ。 いしわたり:ありがとうございます。(笑)でも広義のエンターテインメントをやれてなかったなと思います。 ――メジャーアーティストのプロデュースや作詞を手掛ける中で戸惑ったことはありますか? いしわたり:どうでしょう。僕は2005年から作詞家に転向したんですが、当時は作詞家という仕事の人が、ほとんど存在していなくて。 ――AKB前夜なので、まだバンドやシンガーソングライターが主流ですね。 いしわたり:そうなんです。バンドを解散する時、SUPERCARが所属していたレーベルの社長に「お前、何やるんだ?」と聞かれて、「作詞家になろうと思います」と答えたら、「お前、みんな自作自演で音楽やってるのに、作詞家なんてやって暮らせると思うか」と言われたんです。「悪いこと言わないからプロデューサーをやってみないか」みたいな感じで、当時まだまだアマチュアだったチャットモンチーを紹介してもらいました。それから、チャットモンチーや9mm parabellum bulletなどのプロデュースをしながら、書かせてもらえる数は少ないけれど作詞家としても活動する、みたいな日々が始まって。 ――作詞家の道を諦めなかったのはなぜ? いしわたり:頭の切れるあの社長ですら作詞家は食えない仕事だと思っているなら、おそらくこの時代に作詞家を目指してる人はいないだろうなと考えたんです。逆に言えば、作詞家はブルーオーシャンなのかもしれない、と思って。 ――困難も前向きに捉えることが大事なんですね。今回の本の中に出てくる、小籔さんの「困難に出会ったら、それは天照大神がくれた試練だと思うようにしてる」みたいな言葉にも通じるものがありますね。めちゃめちゃうっとうしい奴が出てきたら、その人が天照大神の化身だと思って「おいおい天照、こんなお題出しよったか」という。 いしわたり:そうかもしれませんね。僕は、一度しかない人生の中で、1秒もこそこそしたくないんなと思うんです。だから、作詞家になって20年になるけど、締切も破ったことは一度ありません。だって、締切までにアイデアが出なくて書けないのは、その締切が悪いのはなくて、自分の普段の行いが悪かっただけですから。だったら、精一杯頑張ったものを締切に出して、それがもし先方の希望に沿わないものなら、次から仕事がなくなる方が正しいことだと思います。締切を伸ばしてもらっても、その伸ばしてもらった数日間は自分を小さく感じる時間ですからね。僕も小籔さんと同じように、「お天道様が見ている」という言葉が好きで、座右の銘にしています。誰にも見られていない時に何をしていたかで、人生は決まりますからね。