いしわたり淳治さん「言葉にできない想いは本当にあるのか2」インタビュー 言葉をうまく操ることができたら悩みも減るはず
人間の悩みっておそらく9割は人間関係だと思う――。作詞家・音楽プロデューサーとして活躍するいしわたり淳治さんの実感です。その悩みを作るのも、解消するのも「言葉」。実際、頭に浮かんだイメージを正確に伝えられず、やきもき、イライラしたことは誰しも経験したことがあるはずです。相手が悪いのか。自分が悪いのか。今回は著書『言葉にできない想いは本当にあるのか2』(朝日新聞出版)でピックアップされた芸人の小籔千豊さん、オードリー若林さん、千鳥ノブさんらの言葉をヒントに、コミュニケーションについて、いしわたりさんと考えてみたいと思います。 【写真】いしわたり淳治さんインタビューカットはこちら
ぐるぐる回る音楽の流行のなかで
――音楽ライターということもあって、シンガーソングライターのimaseさんがなぜ支持されたのかを書かれた回が面白かったです。「“ちょうどよく力を抜く”のはできそうでできない」は言い得て妙だなと。 いしわたり:そうでしたか。ありがとうございます。僕らが若かった頃は音楽でメジャーデビューすることは夢だったし、一攫千金というかトレジャーハンティングみたいな気持ちがあったと思うんです。でも今の子たちはそういう感覚より、自己表現のツールというか、個性を発表する場所、みたいな認識が強い気がするんです。もちろん売れたほうがいいけど、そこは2次的、3次的要素なんだろうなって。 ――「“音楽〝も〞やってみたい”という感覚」ですね。バンドKIRINJIの「ほのめかし feat. SE SO NEON」の歌詞解説も興味深く読みました。シティポップというジャンルは、「生活感や人間臭さみたいなものを消すことで都会的な格好良さを醸し出す」と書かれていて、僕はエモーショナルな音楽が好きだから、「じゃあどうすんねん」と思って読んでいたら原稿でしっかりアンサーを出されていて爆笑してしまいました。 いしわたり:(笑)。例えば、「どうしておれはモテないんだ」という歌詞はロックだけど、それをシティポップ的に変換すると、主語を消して、ぼやかして、「さよならを抱きしめて生きていくのさ」みたいな表現になるんじゃないか、みたいな考察ですね。 ――imaseさんの話題にも共通するのですが、自分は若い世代の感覚を理解しきれてないんです。いしわたりさんはジェネレーションギャップに悩んだことはありますか? いしわたり:悩むとかはないですね。時代や流行が移り変わることは、音楽の長い歴史の中でずっと繰り返されてきたことですから。かつては、職業作家(作詞家、作曲家)といわれる人たちが活躍した歌謡曲の時代があって、その後、自作自演のニューミュージックが出てきて、そこからバンドブームが来たりして。 ――いしわたりさんはロックバンドSUPERCAR(1995~2005)のメンバーとしてバンドブームの後半に登場しました。 いしわたり:そうですね。でも、あの頃の僕が何をしていたかというと、「アーティスト」として自己表現をして、抽象的なことを歌っていました。でもそれは「抽象的にするぞ」と思っていたわけではなく、自分の表現力の限界もあったし、同時に「わかりやすくてたまるか」というカッコつけもどこかにあったんだと思います。 ――「わかりやすくてたまるか」は90年代的なメンタリティですよね。 いしわたり:バンドが解散してしばらくした頃に、AKB48が出てきて、今度は歌詞にわかりやすさが求められる時代になりました。その頃、さらにK-POPもやってきた。その結果、職業作家が再び注目を浴びるようになって。その時代を経て、今はアイドルの時代も若干落ち着いて、再びアーティストの時代になってきている感じがします。 ――ぐるぐる回っている、と。 いしわたり:アイドルに音楽を作っていた作家には、自分のようなバンドブームの頃に出てきた人たちもいたりして。どの時代にもいろんな人がいて、それが多数派になったり、少数派になったりしてる。ほとんどの物事は何かの反動で起きたりするので、流行の移り変わりは自然の摂理みたいなものなのだと思います。 ――同い年とは思えない柔軟さに頭が下がります……。 いしわたり:そんなこともありませんけどね。でも、僕が柔軟に見えるのだとしたら、僕が音楽は根本的にエンタメだと思っているというのが、根底にあるからかもしれません。音楽の作り手に強い思いやこだわりがあることはもちろん素敵なことだけど、すべてがそうあるべきだとは思ってない。誰もが気楽に楽しめるものがもっとあっていいと思っています。