クライアントとともに成長する
先日、「コーチと対話することの価値」を改めて実感する体験がありました。 クライアントであるAさんとのコーチングがちょうど最終回を迎え、二人で振り返りをしていたときのことです。 Aさんは、大手企業の新任役員に抜擢されたタイミングでエグゼクティブ・コーチングを受けることが決まりました。社内でも期待されている人財のお一人です。Aさんは自社に対してのエンゲージメントが非常に高く「生まれ変わっても間違いなく同じ企業に入る」と常におっしゃっているような方です。 半年間のコーチングは、Aさんにとってどんな価値があったかを尋ねると、Aさんは言いました。 「大変失礼ながら『目から鱗が落ちる』ような、新しい感動的な発見というものはありませんでした。ただ、見て見ないふりをしていたけど薄々感じていた自分の癖、目を背けていた自分の習慣を、セッションのたびにテーブルに置かれ続けることで、自分の行動を変えることができました。おそらくコーチングがなければ、向き合おうと思いつつも、自分の本当のテーマには向き合わないまま過ごしていたと思います」 きっかけは、コーチングの中間地点で私がAさんに対して伝えたフィードバックでした。 「立入さんから『あなたの発言は教科書的である』『本気で思っている感じがしない』と言われて、正直ムッとしました。ムッとしたのは図星だったからです。ちょうど上司からも同じ趣旨のコメントを受けて、変える必要があるのだと思うに至りました」 私からのフィードバックが自分自身を変化させるきっかけとなったと聞いて非常に嬉しく思いましたが、実はAさんとのこのやりとりは、Aさんだけでなく、私自身がコーチとして成長し、変化するきっかけでもありました。
コーチとして感じたことを信じる
実は、Aさんにフィードバックを伝えるのはその時が2回目でした。 1回目にフィードバックを伝えたのは、初回のセッションでの一幕です。 Aさんの話を聞きながら、私に見えてきたAさんのあり方について感じたことを伝えました。 「Aさんは与えられた役割の範囲では職責を果たすけれども、自分で何をするかを決めるのは苦手に見えますね」 私自身は、自分が感じたことの中に、Aさんの役員としての成長のヒントがありそうな気がしましたが、Aさんからは 「そうなんですよ。でも、それって悪いことでしょうか? これまでの役割上、仕方ないんですよね」 という言葉が返ってきました。その日が初回のセッションということもあり、その日はそれ以上、そのことについて探求するのをやめました。 ところが、その後もAさんとのセッションでは、時折初回に感じたことが私の中に繰り返し立ち現れます。 Aさんは、未来の経営リーダーのおひとりです。そのリーダーが与えられた役割を果たすだけでよいのだろうか、と悶々とする日々が続きました。 そして迎えた中間地点でのセッションのことです。 「Aさんは、どんな組織・会社を創っていきたいのでしょうか?」 この問いかけに対するAさんからの答えに、また同じことを感じました。Aさんが具体的にどのようなことを言ったかは正確に覚えていませんが、そのAさんの言葉は私には借りてきた言葉のように聞こえました。 Aさんの役員としての成長に向けて一緒に考えたいテーマだと思った私は、Aさんの発言が借りてきた言葉のようで、教科書的に聞こえること、Aさんの思いが伝わってこないことを伝えました。 すると、Aさんは見るからにムッとし、私が伝えたことに対して反論を述べ始めました。 「自分自身のポジション上、上司がやりたいことを自分のやりたいこととして語ることの何が問題なのですか?」 「普通こういうものではないですか? 私の何が間違っているのですか?」 Aさんからは、矢継ぎ早に言葉が出てきます。私の中では「言いすぎたかも」「どうやってこの場を収めればよいのだろう」という、焦りや反省の意識が湧いてきました。 それまでの私であれば、その場をうまく収めるために 「言いすぎました。ごめんなさい」 と謝罪の意を示していたかもしれません。しかし、そのときに私が取った選択は、いつもと違うものでした。 Aさんの目をまっすぐと見て、少し声のトーンを落とし、ゆっくりと伝えました。 「Aさんがどんな意図をお持ちかはわかりません。ただ少なくとも私には、Aさんの言葉からAさんの意思が伝わってくることはありませんでした。それが私にとっての事実です」