旨いものには事欠かない「神楽坂」の由来とは? 坂が魅力、江戸の和風情緒はどのようにして生まれたか
江戸時代から続き、長い歴史を持つ神楽坂。明治時代には、夏目漱石や泉鏡花といった文豪たちが愛した街でもある。街のメインストリートとも言える「神楽坂通り」には、ビルが立ち並び現代らしい様相を見せている。しかし、少し小路に入ると、まるで江戸にタイムスリップしたかのような感覚に陥る。石畳が続く小路からは花街としても栄えた名残を感じられ、今にも芸者さんとすれ違いそうな風情がある。そんな昔と今が混在する神楽坂の歴史を振り返りながら、坂道を散歩してみる。 【画像】風情漂う「芸者新道」や「本多横丁」が魅力。神楽坂のさまざまな風景
粋なこの坂歩いた先に必ず美味が待っている
神楽坂、その生い立ちを紐解けば。神楽坂のその下に、江戸城外郭守る門、牛込御門があったそう。そして将軍・家光の頃。坂の上に住まれた方が、時の大老・酒井忠勝。神楽坂とは江戸の初期。大老殿が屋敷から、城まで通う登城道。その為に整備されたという。大老殿はこの坂を、下って役目に向かったが、それとは逆に神楽坂、下から上ってみようじゃないか。 すぐさま右手から、街のアイドルペコちゃんが、こちらに微笑みかけてくる。こいつぁいきなり気持ちがいい。そんなペコちゃんよく見れば、舌をペロリと出している。おいしい物でも食べたのか? そうだ、この街・神楽坂。旨いものには事欠かない。 坂をしばらく歩いたら、神楽坂仲通りを右折して、すぐさま左の小道に入る。この道の名は芸者新道。ちょい小粋な名前だが、通りの風情もまた粋とくる。 黒塀立てる料理屋に、路地行灯がほのかに光り、大正浪漫か幽玄か。芸者新道突っ切れば、出くわす通りは本多横丁。先ほどまでの江戸の和風情緒に加わるは、気軽に入れる居酒屋に、洒落たフレンチ、イタリアン。足取り軽くカップルが、店の中へと吸い込まれる。
神楽坂といえば、毘沙門天
神楽坂へとまた戻り、坂を横断した先に、ドーンと鎮座の毘沙門天。 福よ来たれと手を合わせ、さぁてそろそろ我々も、この街誇る旨いモノ、じっくりたっぷりいただきますか。ついでに一献傾けましょか。ちょっと帰りは遅くなるかも。だってこの街、秋の神楽坂。 撮影/西崎進也、浅沼ノア、文/カーツさとう ※2024年11月号発売時点の情報です。 …つづく「厳選【神楽坂で昼飲み】するならこの3軒!ヒレかつ、出汁巻きで一杯がたまらない!旨さとコスパを兼ね備えた大人の酒場」では、覆面調査隊が、花街の面影を残す裏通りから、新店が軒を連ねるメインストリートまで、昼飲みにおすすめしたい、とっておきの3軒を実食レポートしています。