黒ビキニにポニーテールスタイル、くびれで魅せた45歳 歩行困難を乗り越え、コンテスト2位に輝く
「人一倍元気で病気知らず」だったが、脊髄に炎症が起こり、突然歩行困難になった洲本朋子(すもと・ともこ/45)さん。リハビリを乗り越え、ステージに立つ思いを伺った。 【写真】洲本朋子さんの細いウエスト
さかのぼること3年前の2021年。洲本さんはダイエットの延長上でベストボディ・ジャパンの岡山大会に挑戦しようとしていたという。しかし、コロナ禍でその大会は中止されてしまった。 翌年の2022年、当初の発表では岡山大会にモデル部門がなかったため、ほかの地方大会にエントリーした。その後、岡山大会にモデル部門が追加されたが、「他にエントリーしていたし、地元の大会は恥ずかしいという臆病な自分もいて、岡山大会には出場しませんでした」と、洲本さん。 大会を通して仲間ができた2023年。勇気を出して「岡山大会に挑戦しよう、やっぱり岡山のサッシュがほしい」と思っていた矢先、洲本さんを病が襲った。「立てない、歩けない……突然のことで泣き暮らしました。仕事も休職し、筋トレどころではなく、病院とリハビリの毎日でした」 念願の岡山大会に洲本さんが出場することはなく、仲間が映っている岡山大会の写真をインスタグラムで目にするたび涙が溢れた。「病気になった人生が現実だと分かっているのです。でも本当だったら私もこの中にいたのかな」と考えてしまったという。 そして2024年。後遺症として左半身に痺れは残ったものの、リハビリを乗り越え、身体は寛解期を迎える。「岡山大会に出たい、病気が再発しませんように!」と、神様に祈りながら日々筋トレに励んだという。 ついに本命の『モデルジャパン2024岡山大会』(5/12開催)のステージを踏む。3年越しに夢が叶った瞬間だった。 「やっとここまで来れた……と、会場に着くと私の目に涙がたまっていました。去年、仲間が踏んだステージを私もやっと踏めました。思いが込み上げてきて、すべてに感動しました」 結果は4位の紫サッシュ。今まで順位にこだわりはなかったが、初めて悔しいと思ったという。しかし、洲本さんの娘さんが電話で「紫でよかったね、人生の彩りよ。いろんな色があった方が人生は豊か」と素敵な言葉をかけてくれた。洲本さん自身もそのときのことをこう振り返る。 「突然歩けなくなったこと、大量の薬を身体に投与したこと。『甘えるな。もっと大変な状態でも、必死で生きている人はたくさんいる!』とリハビリの先生に叱られて、泣きながらリハビリしたこと。順調に回復した訳ではなく、時には人生を投げ出そうとしたことだってあります。娘の言葉で、この紫サッシュの裏にある壮絶な物語がよみがえりました。紫色だけど、自分は自分の頑張りを知っている。自分を認めてあげなくては、と我に帰りました」 岡山大会後の挑戦は白紙だったが、「唯一無二の人生。自分のやりたいことをやってみよう」と、6月22日(土)開催の『モデルジャパン2024松山大会』にエントリー。ずっとやってみたかった黒ビキニにポニーテールスタイルで、ステージそして人生を楽しんだ。
結果は見事、準グランプリ。「今の日々と周りの方々への感謝を忘れず、やりたいことに挑戦していきたいです。そして、ここまで回復を遂げた自分が誇らしい。病気とは一生の付き合いになりますが、それも含め私らしい人生を送りたいです」そう語る彼女の声は力強かった。
取材:小笠拡子