サッカー元日本代表・中村憲剛さん「40代、これからの生き方について」|STORY
J1リーグ3回優勝、最優秀選手賞、十余年にもわたる日本代表MF…輝かしい数々のタイトルに彩られた中村憲剛さんのサッカー人生ですが、中学時代は無名、川崎フロンターレにはテスト生として参加するなど、必ずしも順風満帆ではなかったいわゆる「非エリート」。トップ選手となり40歳で引退するまで、どのように心を磨き、鍛え、整えて、自分の人生を都度高めてきたのか―――。憲剛さんの思考とチームドクターである木村先生の解説とのコンビネーションで40代のさまざまな悩み、心の揺らぎや不安などに生きるエールやヒントをいただきます。 PROFILE中村憲剛さん 1980年生まれ。中央大学卒業後、2003年加入より川崎フロンターレ一筋でプレーし、J1通算546試合出場83得点を記録。3度のJ1リーグ優勝、個人としては15度のJリーグ優秀選手賞、8度のJリーグベストイレブン、2016年にはJリーグ最優秀選手賞も受賞、日本代表としても、南アフリカ開催のFIFAワールドカップ等で活躍。2020年限りで現役引退後、古巣の川崎FでFROに就任、2024年7月に「S級コーチライセンス」を取得。 木村謙介先生 医学博士。医療法人きむら内科クリニック理事長。Jリーグ川崎フロンターレチームドクター(内科)。慶應義塾大学医学部循環器内科非常勤講師。心と身体を同時に癒す診療が信条。引退セレモニーにおける長男龍剛君の手紙で中村憲剛に強い関心を抱く。彼の心の在り方や考え方を知り、それが悩みを持つ多くの人達の処方箋になると共著出版を提案。
Q.40代、キャリア、子の進学、親の介護、更年期など、心や体の変化が大きく揺れ動く40代に、どうやってブレない心を据えるか、アドバイスはありますか? 中村憲剛さん:全然、ブレてもいいんじゃないですかね。それでもいいと思えることも大事だと思ってます。あんまりにもかっちり生きようとすると、うまく行くものも行かなくなるので、余白は作っておいてもいいのかなって思います。35歳の時に、現役引退は40歳くらいかなと妻と話していました。なので、5年前から決めていたとも、5年かけて引退したとも言えます。 実際、40歳で本当にやめるのかなと、最終的な辞め方が見えなかったんですね。39歳の誕生日の直前にルヴァンカップで優勝した試合にも出ていましたし、来年どうやって引退するんだろう?って。と思っていたらその2日後の試合で前十字靭帯を断裂して全治8か月。これはしっかりと治してみなさんの前でちゃんとパフォーマンスを見せて旅立てってことだな、と道が見えた瞬間でした。もし怪我がなく、自分の終わりが見えてない状態で39歳を過ごすとなると相当苦しかったはずです。誤解を招きそうなので、はっきりさせておきたいのですが、怪我が原因で引退を決めたわけではありません。怪我をしたことで引退までの道筋がきれいに見えたんです。ものは良いようですね。そこから301日後に試合に復帰し、その試合でゴールも決めることができましたし、リーグ戦と天皇杯で優勝という最高の形で引退することができました。自分が毎日コツコツと一生懸命積み重ねた日々の延長線上に道が開けていくと信じてやってきました。 引退後、最速でS級コーチライセンスを取ることを目標に据え、もう少し世の中を広く、いろんな場所から見たい、自分の中で欠けてたものをちゃんと埋めて広げる作業を、引退してから今年で4年目ですがやってきました。基本的に現役の時は計画性は全くなくて、脇目も振らずに全力で走った結果今の場所にたどり着いたので、これからも少しの余白を持ちつつ毎日一生懸命に過ごしていきたいと思います。 木村先生はこう見る! さまざまな情報や考え方があふれる現代社会ですが、憲剛さんは様々な場面において、これまでの長いキャリアの中で養われた自分のポリシーを確固と持ち、時には自分軸がブレることがあろうとも、周囲の人々と心を開き合い耳を傾けたことで、自分の心を豊かにし、周囲にもそのいい影響を伝播させることができたのでしょう。これまできっと、目に見えない迷いやつまずきだってあったはずでしょうが、ガッチガチにせず適度な余白を保ちながら、むしろ揺らいだって許容範囲、くらいにおおらかな腹の決め方が、現役と引退を経験した40代、同世代には響くのではないでしょうか。