首相も財界トップも手玉に取った「天才霊感少女」 藤田小女姫殺害犯がハワイの刑務所で殺されていた
自分のことは分からない
私生活では離婚も経験した小女姫だが、仕事は、好調そのものだった。が、30歳のとき、思わぬ事故につまずいた。 昭和43年、小女姫が名目上オーナとなっていた有楽町にあったサウナが火災を起こし、3人の客が一酸化炭素中毒で死亡したのだ。経営者の過失責任を認めた東京地裁は、のちに禁固10カ月、執行猶予2年の有罪判決を彼女に下している。 このとき週刊誌が、記事であざとく爪を立てたのは、火災発生時にサンケイ会館で相談者の悩みを聞いていた、彼女の予知能力に対する疑念だった。 友人らが覚えている彼女の口癖は、「私、自分のことだけは、なにも分からないのよ」だった。4年前の離婚のときには愛嬌として受け取られたこの言葉も、今回は辛辣な響きを伴って、誌面に取り上げられた。 信望の失墜は、予言者には致命傷となった。サウナは即閉鎖、サンケイ会館の相談室も、間もなく看板を下ろした。この頃から、政財界の名士や、文化人らが静かに、彼女と距離を置くようになったという。政治家の派閥パーティーに顔を出すことも、すっかりなくなった。 *** 「藤田小女姫」の名が今日までミステリアスな雰囲気をまとっているのは、その晩年によるところも大きい。後編【ハワイで遺体発見、消えた3体の遺骨…「天才霊感少女」藤田小女姫、謎に包まれた56年の生涯】では、ハワイでの不可解な死、そして「実の弟」を主張する人物も現れた血縁関係に迫る。 駒村吉重(こまむら・きちえ) 1968年長野県生まれ。地方新聞記者、建設現場作業員などいくつかの職を経て、1997年から1年半モンゴルに滞在。帰国後から取材・執筆活動に入る。月刊誌「新潮45」に作品を寄稿。2003年『ダッカに帰る日』(集英社)で第1回開高健ノンフィクション賞優秀賞を受賞。 デイリー新潮編集部
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